2012年5月29日火曜日

ブロッサム

近所のパン屋さん『ブロッサム』に閉店という紙が貼ってあった。

ブロッサムはバゲットとクロワッサンとパン・オ・ショコラとアンパンだけしか扱っていないパン屋さんで彼女の大のお気に入りだった。

春になると窪みのところに桜の花びらが埋め込まれたアンパンが登場して、彼女は春が近づくと「ブロッサムのアンパン、桜になったかなあ」と毎日確認のために通いつめた。

ブロッサムは奥で50代半ばの男性が黙々とパンを焼いていて、レジのところに30歳前後のいつも寂しそうな目をした女性が立っていた。

レジの後ろにはレコード棚とターンテーブルがあり、女性がレコードをかけていた。

そしてかかるレコードはブロッサム・ディアリーだけだった。

彼女がアンパンを食べながら「あの二人って夫婦なのかなあ」とよくつぶやいた。

「今度聞いてみれば良いじゃない」と僕が言うと「聞いてみたいんだけど、違ったらどうしようと思うとなんか聞けなくて」と答えた。

一度だけ郊外の動物園でブロッサムの二人を見かけたことがあった。

二人の真ん中には5歳くらいの男の子がいて3人で手をつなぎ笑いながらシロクマを眺めていた。

彼女が「あ!」と指をさし、僕はうなずいた。

あの日から5年が過ぎて彼女も結婚してしまった。

明日、彼女に電話をしてブロッサムが閉店したことを教えようと思った。


P.S.もしご興味のある方はブロッサム・ディアリーの曲をどうぞ。
http://www.youtube.com/watch?v=LQfvIIdcUD0

海と空

その女の子は海を見たことがなかった。

だから最近転校してきた男の子が南の小さい島からやってきたと聞くと、とても嬉しくなった。

学校から帰る途中に男の子が歩いているのを見つけ、後ろからそっと近づき声をかけた。

「ねえ、海の話して」

男の子はびっくりして「海の話って?」と聞き返した。

「私、海って見たことないの。海ってどんな感じなの。教えて」

「そうかあ。海を見たことないんだ。僕が住んでいたのは小さい島だったから海って普通だったんだ。だからどうやって説明していいかわかんないや。『空の話して』っていう感じと似てるかな」

「そうか。なるほど。じゃあ私は空の話をするから、あなたは海の話をして」

「うん。じゃあそうしよう。ねえ、空ってどんな感じ?」

「空? 空はねえ。とてもとても広いの。空の機嫌が良いときは真っ青でどこまでもどこまでもその青が広がっているの。でもね、機嫌が悪いときは黒い色が広がって大荒れになるの」

「不思議だ。今君が言った空の話、まるで僕が知っている海のことを話していたみたいだ。あのね、話にしてみると空と海ってとてもよく似ているんだ」

「ほんと?じゃあ想像してみるね、目の前に空が広がっている感じ。素敵かも。じゃあ、海と空の違うところは?」

「違うところ… 空は切ないけど、海は悲しいよ」

強い雨

雨が強く降ってきた。

助手席の君が不安そうな表情でこう言う。

「ねえ、このまま運転し続けても大丈夫?」

「大丈夫だよ。降りやまなかった雨は歴史上、一度もなかったんだから。いくら喧嘩をしても仲直りをしなかった僕らがいなかったのと同じだよ」

「変な喩え。でもね、このまま ずっとずっと雨がやまなくて洪水になったらどうしようとか不安にならない?」

「もし洪水になったら君を連れて高いところに逃げるよ」

「それでも水が追いかけてきたらどうすればいいの?」

「じゃあ、こうしよう。バケツリレーだ。世界中の友達に連絡して、あふれた水を砂漠に持っていこう」

「みんな手伝ってくれるかしら」

「大丈夫。僕はこう見えて友達は多い方なんだ。たぶんたくさんの人がバケツリレーに参加してくれると思う」

「世界中でバケツリレーかあ。今ちょっと想像してみたけど、なんだか素敵ね。でもほら。やっぱりイヤな人っているから邪魔されるかもしれないわよ。途中でバケツを全部ひっくり返す人とかいたりして」

「大丈夫。バケツをひっくり返す人は必ずいつもいるんだ。でもそれよりももっともっとたくさんの人がバケツリレーに参加すれば良いんだ」

「ふーん」

「雨がやんできたようだね。ほら、やまない雨はない。世界は君が思ってるよりもっともっと良いところだよ」

真夜中のメリーゴーラウンド

夜中に突然彼女が「メリーゴーラウンドに乗りたいなあ」と言いはじめた。

「ほら。映画とかでよくあるじゃない。真夜中の遊園地に忍び込んでメリーゴーラウンドに乗るシーン。真っ暗で誰もいない遊園地なんだけど、突然メリーゴーラウンドにだけ明かりがついて動き出すの」

今から遊園地を貸し切りなんてまさか無理だろうし、遊園地で働いている人間を買収するというのも無理だろう。

でも、可愛い彼女の突然のワガママにも簡単に答えられるのが男の見せ所だ。

僕は何でもないような素振りで「じゃあ出発しようか」と言った。

僕らは車に乗り込み、遊園地のある郊外の方へ急いだ。

僕は真っ暗な遊園地の前に車をとめた。

ダッシュボードからサングラスとピストルを二つづつ出し、彼女にも渡した。

彼女が目を輝かせた。

彼女はこういう危険な冒険が大好きなんだ。

僕は腰を低くして、管理人室の方に歩みを進める。

彼女も真剣な表情で後ろからついてくる。

僕は管理人室の扉を開け、中の男に銃を向け「静かにしろ。言うとおりにすれば命は保証する」と告げる。

男は震えている。

当然だ。

まさか真夜中に銃を持った二人組が入ってくるなんて想像もしていなかっただろう。

彼女が管理人室の壁にもたれこう言う。

「早くメリーゴーラウンドの鍵のありかを吐きなさい。子猫ちゃん」

星になった魔法使いの女の子

その女の子は自分が魔法使いだということはずっと隠していました。

学校に遅刻しそうになってもホウキに乗ったりせず必ず普通の女の子として行動しました。

というのは同じ魔法使いのお母さんがこんな話をしたからです。

「昔、大きな津波が来たとき、お婆ちゃんは時間を止めたの。そしてみんなが丘の上に逃げるのを待ってから、その後また時間を戻したの。みんなの命は助かったんだけど津波は町を根こそぎ持っていっちゃって。みんなは、津波はお婆ちゃんの魔法のせいだって言って、お婆ちゃんは火あぶりになったの。どんなことがあっても人間に魔法は見せちゃダメよ」

それでその女の子 は普通の女の子として学校に通い、普通に恋をしました。

その女の子が恋をした相手は星が大好きで、夜の間ずっと天体望遠鏡をのぞいていても飽きないような男の子でした。

男の子は「いつか新しい星を見つけて僕の名前をつけるんだ」というのが口癖でした。

女の子はある日、自分の部屋でその男の子の運命を占ってみました。

もしかして自分の片想いがいつか両想いになる日が来るんじゃないかと期待したのです。

すると、とんでもないことがわかりました。

三日後に男の子が丘の上で星を眺めていると突然、嵐がやってきて、雷がその男の子に落ちるらしいのです。

女の子は男の子に「三日後に星を見に行くのだけはやめて」とお願いしました。

男の子は新しい星がみつかりそうだったので、その女の子のお願いを断りました。

そしてその日がやってきました。

さっきまで夜空に星が瞬いていたのに突然あたりは暗くなり、ぽつりぽつりと大粒の雨が降り始めました。

男の子は傘を持ってきていなかったので、大木に寄り添って嵐が過ぎ去るのを待ちました。

すると「ダーン!」と大きな雷が落ちた音がしました。

男の子はびっくりしましたが、かすり傷ひとつなく無事でした。

その時、空から黒こげになったホウキが落ちてきたのですが、男の子は気づきませんでした。

その日、夜空に星がひとつ増えました。

女の子は星になったのです。

10年後、男の子は新しい星を発見しました。星の名前はなんと、あの魔法使いの女の子の名前でした。

記者会見で「その星の名前はどういう由来なんですか?」と聞かれて、男の子はこう答えました。

「昔、好きな女の子がいたのですが、ある日突然いなくなっちゃったんです。その後すごく探したのですが、みつからなくて。それでいつか新しい星を見つけたとき、その女の子の名前を付けると、どこかでその子が、僕がついに新しい星をみつけたんだ、って気づいてくれるかなって思って」

その日、夜空のある星が少しだけ涙を流しました。

公園のベンチでうとうとしていると、小さな虫が耳の中に入ってきた。

あれ、これはちょっとまずいことになったなあ、なんて思っていると頭の中から

「これはひどいな」という声が聞こえた。

ついうっかりと「え、どういうこと?」と僕がつぶやくと、

「まあとにかくこっちに来てみろよ」と虫が言う。

「いったいどうやったらそっちに行けるっていうんだよ」とからかい半分で答えたら

「こうやってだよ」と虫が言うと、僕はあっと言う間に裏返しにされて、虫と一緒に頭の中にいた。

僕の頭の中は寒くて暗くてゴムが焼けたようなイヤな臭いがした。

足下はヌルヌルしていて、何か柔らかいものや固いものを時々踏みつけるんだけど、僕は怖くてそれが何だか確かめられない。

虫はなぜか最初と同じ小さいままで僕の頭のまわりをブンブンと飛び回っている。

「最悪だろ」と虫が言うので、僕は「だいたい人の頭の中ってこんな感じじゃないかな。逆に全てが消毒されていて清潔な頭の中の人間ってちょっと信用できないな」と強がってみた。

「そんなに言うのならその無意識の扉を開けてみな」と虫が言うと、目の前には「どこでもドア」のようなただの扉が一枚立っていた。

この扉を開けると僕が二度と思い出したくないような傷ついた体験とか、歪んだ性の妄想とかが流れ出てくるんだろうか。

いやそれよりもっとひどい何かが待ちかまえているのかも。

僕は気持ちを落ち着けてここから脱出する方法を考えてみる。

虫を殺す?

扉の反対側から入る?

そうだ、これだ。

僕はポケットからライターを出して扉に火をつけた。

すると虫が「何やってんだ。逃げるぞ」と言うと僕の耳に飛び込んだ。