2012年12月14日金曜日

焼き芋

クリスマスの次の日の朝のこと。

僕はコーヒーを淹れながら、彼女に「もう今年もあと少しだね」なんて話しかけた。

すると彼女が突然サンタクロースが持っているような白い袋を出してきて「じゃあ今年のイヤな気持ちを集めるわよ」と言った。

僕がキョトンとしていると「ほら、誰かの悪口とかちょっとした気持ちの行き違いとか変なトラブルとか色々あったでしょ。それを全部集めるの」と彼女が言った。

そして彼女は僕のPCを開けてメールやSNSでのやり取りなんかに検索をかけてネガティブな言葉や感情を取り出し、全部袋に詰め込み始めた。

「この辺りにもあるんじゃない?」と言って梅雨の時期のレインコートとか太陽の香りがしみこんだ夏の鞄なんかもチェックして、誰かをイヤな気持ちにさせた言葉とかちょっとしたイライラとかを全部白い袋に投げ入れた。

「これでお芋を焼くと美味しいのよ」と言ってサツマイモを袋に入れて「バターと蜂蜜!」と可愛い声で袋に囁いた。

そして僕の方をチラリと見て「これを言っておくと甘くなるの」と言ってウインクした。

そして僕らはマンションの裏の空き地に向かい、彼女は僕のイヤな気持ちに火をつけた。

あたりには焼き芋の甘い香りが広がった。

2012年12月10日月曜日

短歌

新しい僕の世界に雨が降るあと百年くらい傘はいらない

始まり

始まりを見つけたので、僕は「これだ」と思い、ずっと掴んでいた。

すると、通り過ぎる人達みんなが「まだそんなことやってんの?」と言った。

それで僕は手を離してしまった。

あの時からずっと始まりを探している。

そして今度こそ手を離さない。

小人の兵隊

小人の兵隊達が行進してきて、机の上のライトのスイッチを消した。

ラジオも消した。

冷蔵庫も消した。

小人の兵隊達は世界中のスイッチを消して回った。

時計の時間も消した。

月の明かりも消した。

小人の兵隊達が全てを消し終えたら、彼女の可愛い寝息だけが聞こえてきた。

柿泥棒

柿泥棒って昔のマンガでは見かけるけど、実際にはもういないんだろうなあ。

最近の子供がそんな危険をおかしてまで他人の庭の柿をとるなんて思えない。

なんて考えているとちょうど目の前に柿がたわわに実った木があった。

それで僕は小学生になって塀に足をかけ、柿に手を伸ばした。

すると家の中から「こらー。どこの悪ガキ!あなた。ちょっと外に出て注意して」と妻の声がした。

それで僕は上着をはおって、家の外に出てみた。

すると小さな柿泥棒はもうずいぶん先の家の角を曲がりながらこちらを振り返って

「やーい。悔しかったらここまでおいで!」と言っているところだった。

人魚の恋

人魚がある人間の男のことを好きになった。
 
人魚は男のために歌い、男を人魚の虜にさせた。
 
しかしひとつだけ問題があった。
 
人魚の下半身は魚だったため、人間の男性とは交わうことが出来なかったのだ。
 
人魚は下半身に人間の性器を付ける手術をした。
 
しかし人魚の元の姿への回復能力はすさまじかったので、あっと言う間に元の魚の下半身に戻った。
 
それでも男は人魚と交わりたいと懇願した。
 
それで人魚は男の目を潰し、人間の女をさらってきて声帯を潰し、二人を交わらせた。
 
人間の女が涙を流しているのを男は気がつき、人魚が喜んでいるのだと勘違いした。
 
人魚と男はいつまでも幸せに暮らした。

2012年12月9日日曜日

銃を持った天使たち

山手線で、今日はやたらと天使がたくさんいることに気がついた。
 
そしてその天使達はみんな手に天使には似合わない銃を持っていた。
 
浜松町につくとその天使達はいっせいに降りて、羽田行きのモノレールに吸い込まれた。
 
僕はそんな予定じゃなかったのだけど、天使達といっしょにモノレールに乗り込んでしまった。
 
するとモノレールの中は僕以外は全員天使だった。
 
人の良さそうな天使が僕のことをちらちら見ているので「あの、この列車は天使の貸し切りなんですか?」と聞いてみた。
 
すると彼が「君は天使じゃないの?」と言った。
 
僕はこれはちょっとまずいかなと思って「今は天使の修行中なんです」とでまかせを言った。
 
すると天使が「君はどうやって戦うの?」と言った。
 
僕が答えに困っていると天使がこう言った。
 
「どうやら事情を知らないみたいだね。僕らは幻想世界が好きだから現実と戦うんだ。君は次の駅で降りた方がいいよ」
 
そして天使が笑った。
 
気がつくと僕は浜松町の駅のホームで立っていた。

世界を絵本に

この時代のこの世界を一冊の絵本にしてくれ、という依頼が世界時代協会からあった。
 
映画だったらカメラをひとつ持って世界中を旅しながらそこで出会った人に話を聞くというドキュメンタリー風のものなんかが良いだろう。
 
小説なら自分のことを私小説として書くのが一番誠実のように思う。
 
音楽ならどうだろう。かなり安直な発想ではあるが現在の世界中のトップアーティストを集め、いくつかのパートに分かれたオペラ風の作品を作るのが正攻法だろう。
 
しかし依頼は絵本だ。ディズニーランドのイッツ・ア・スモールワールドみたいに世界中の子供たちを描いて、みんなで手を繋ごうというのが良いんだろうか。
 
ダメだ。すごく馬鹿げている。
 
100年後の未来からタイムスリップしてきた男の子と100年前の過去からタイムスリップしてきた女の子が突然出会い恋と冒険をするお話なんてどうだろう。これはマンガの方がふさわしそうだ。
 
何かをずっと探している物語が良いなあ。

天国の地図

相棒が「天国の地図を作ったら儲かるぜ」と言ってきた。
 
僕が「儲かるんなら君がやれよ」と言うと
 
「俺は無理だ。5人も人を殺しているし、強盗や詐欺だって数え切れないくらいやってる。まさか俺が天国に行けるとは思えない」と相棒は答えた。
 
「ということは、僕が一度天国に行って、天国を全部見てそれを地図にすればいいってわけだ」
 
「そういうことだ」
 
「でも地図はどうやって持って帰ってくればいいのかな。まさか天国からメールに添付して送信するってわけにはいかないだろ」
 
「もちろんだ。実はこの間ある天使の弱みを握ったんだ。それでその天使にこの天国の地図の計画を話したら、その天使はオマエを天国から下界に戻ってこれるように手配してくれるって契約になった。なんにも心配はいらない」
 
そんなわけで、僕はその場で相棒に撃ち殺されて、天国に行くことになった。
 
天国はお花畑と美女と虹がたくさんあるだけで地図は簡単に出来てしまった。
 
それで僕は天使を呼んで「そろそろ下界へ帰ろうと思うんだけど」と伝えた。
 
すると天使がこう言った。「言い忘れてたんだがそのままの姿では下界には戻れない。また赤ん坊からやってもらわなきゃならないんだ」
 
「赤ん坊だって? じゃあこの天国の地図はどうすれば良いんだ? まさか地図を抱いて産まれるってワケにはいかないだろ」と天使にせめよった。
 
「大丈夫。君は20歳になったら突然前世を思い出して、天国のことを話し出すから」
 
そして僕は相棒の赤ん坊になった。

2012年11月17日土曜日

シーソー

「シーソーに乗ろうか」

「シーソーって私初めてなんだけど、どうなったら勝ちなの?」

「シーソーには勝ち負けなんてないよ」

「ホント?」

「うん。お互いに上がったり下がったりして楽しむだけなんだ」

「そんなので楽しいの?」

「うん」

「競争もないの?」

「うん。逆にお互いのバランスが必要なんだ」

屋上月光

彼女がビルの屋上から手を振っているのが見えた。
 
ビルは20階はあるだろうか。
 
何か落ちてきたと思ったら紙ヒコーキが舞い降りてきた。
 
彼女はもうしっかりこの電気のない世界で上手くやっていく方法を身につけている。
 
僕は紙ヒコーキを追いかけて、空中でキャッチした。
 
紙ヒコーキを開けると「今すぐ上がってきて。すごく綺麗だから」と書いてあった。
 
ビルに入ると、やはりエレベーターなんてものはない。
 
僕は階段を上がる。
 
上がる。
 
上がる。
 
屋上では彼女が笑いながら手にバレーボールくらいの大きさの月を抱えていた。
 
「この世界ってみんなにひとつづつ自分用の月がもらえるんだって。育てられるし感情もあるって。あなたのもあるわよ」と言うと夜空から月が降りてきた。
 
月は白く発光しているのだけど、ぼんやり霞がかかっているようで、そんなに眩しくない。
 
「月って熱いのかと思ってたら冷たいんだね。育てるんだったら名前とかつけた方が良いのかなあ」と僕。
 
「もちろんでしょ。私は水とか夜とかに関係した名前にしようと思ってる」と彼女。
 
「でも太陽が出てきたらどうすれば良いんだろう」
 
「朝になったら自分の海に沈むらしいわよ」
 
「自分の海って?」
 
「私もまだわからないの」
 
そして僕らは20階のビルの屋上で月の名前を考えながら朝がおとずれるのを待った。
 
 
 
 
※韓国の女の子二人組のユニット「屋上月光」にはまってしまって、ちょっと書いてみました。

魔法のクレヨン

私がまだ小さい頃、病院のベッドで寝ている母がクレヨンを見せてこう言った。
 
「もしあなたに困ったことがあったら、このクレヨンで絵を描きなさい。そしたらその絵があなたを助けてくれるから」
 
私は「じゃあ今から魔法使いの絵を描いてお母さんの病気を治してもらう」と言って絵を描き始めた。
 
しかし、その絵が完成する前に母は息を引き取ってしまった。
 
お葬式の日は一日中お花を描き続けたので、母が眠っている部屋はお花でいっぱいになった。
 
小さい頃はまさかクレヨンに限りがあるなんて気がつかなかったので、私はちょっと困ったことがあると簡単に母のクレヨンを使った。
 
遠足の日にはテルテル坊主を、学校に遅刻しそうな時は遅れた時計を、という風に私は様々な絵を描き困難を乗り越えてきた。
 
20才くらいになると大切な時だけに使おうと思ったのだけど、恋愛のことはもちろん、友人とのトラブルやバイトの悩みなんかにも母のクレヨンを使ってしまった。
 
そんなわけで結婚して娘が生まれた頃には、後もう一回描く分しかクレヨンは残っていなかった。
 
そしてまだ娘は小さいのに、私は癌にかかり、病院であとわずかな命となった。
 
私は今こそ最後のクレヨンを使うときだと思った。
 
娘が私を心配そうに見ている。
 
私は母のクレヨンで、娘のために魔法のクレヨンを描き始めた。

山の向こうの海

少年は山の向こうには海があると信じていた。
 
でも「山の向こうには何があるの?」と村の者に聞いても、誰も知らなかった。
 
村の者達は、逆にどうして少年が山の向こうのことに興味があるのか不思議がった。
 
でも少年は山の向こうには海があり、そこに船を浮かべて漕ぎ出せば遠い世界に行けると信じていた。
 
村の者達はそんな少年の影響を受ける若者が出てくるのを恐れて、少年をこっそりと殺し、土の中に埋めた。
 
少年は土の中から魂だけ抜けだし、目標だった山を越えた。
 
するとそこには自分がいた村と全く同じような村があるだけだった。
 
少年は落ち込み、自分の村と同じような村を魂だけでさまよい歩いた。
 
するとその村にもかつての自分と同じような少年がいて、同じようにあの山の向こうには海があると信じていた。
 
死んだ少年の魂はその少年に乗り移った。
 
身体の中で死んだ少年の魂は「この世界に海なんてものは存在しない」と説得した。
 
少年はあきらめ一生をその村で過ごした。
 
そして世界からまたひとつ海が消えて無くなった。
 
世界の海は残り少ない。

もしもしコレクター

いつも思うんだけど日本語の「もしもし」って、すごく可愛い。
 
あなたも今ちょっと発音してみてほしい。
 
「もしもし」
 
ほらすごく可愛いでしょ。
 
世界中の電話用語選手権でもかなり上位になれるんじゃないかと僕はにらんでいる。
 
次回のオリンピックに「電話用語種目」が正式に採用されて、「もしもし」が金メダルをとってしまったら「もしもし」の価値がすごくあがりそうだ。
 
だから僕は今のうちに、誰も気がつかないうちに、「もしもし」を集めておこうと思う。
 
僕は「もしもしコレクター」の第一人者だ。
 
僕は語る。
 
「ああ、東北のお婆ちゃんの『もしもし』も人気ですけど、やっぱり4才児の『もしもし』ですかねえ」

小さい悲しみ

さっきからアストラッドが「悲しみよ、早く去ってくれ」と歌っている。
 
リズムは楽しいサンバなのだけど、メロディはどこか物悲しい。
 
そして僕の部屋のソファにもずっと小さい悲しみがちょこんと座っていて帰ってくれない。
 
僕はさっきから「そろそろ帰った方が良いんじゃない」とか「お母さんがお家で心配してるよ」とか言ってるのだけど、小さい悲しみは全然気にしていない。
 
小さい悲しみは、僕がいれたカフェラテにたっぷりとお砂糖を入れて、さらにチョコレートをかじりながら、アストラッドと一緒に歌っている。
 
僕は小さい悲しみにちょっときつく言ってみた。
 
「あのね。君がいると部屋が暗くなるし何を考えても切ない気持ちでいっぱいになっちゃうんだ。僕の部屋をずいぶん気に入っているみたいだけど、本当に帰ってくれないかな」
 
すると小さい悲しみはぼろぼろと大粒の涙を流した。
 
それで僕は「わかったわかった。今日はいて良いよ」と言うと、また僕の心は切ない気持ちでいっぱいになった。
 
 
 
 
※小さい悲しみが一緒に歌ってたアストラッドの曲はこれです。

彼女の指輪

彼女との初デートは時間旅行だった。
 
もちろん時間旅行は結構な金額がかかるのだけど、彼女が「一度、世界が作られているところを見てみたいな」と言ってたからちょっと奮発したというわけだ。
 
でもデートは時間旅行にして大正解だった。
 
何もない乾いた土地に大量の水を流し込んで、海を生み出している時は二人で感動してつい涙が出ちゃったし、空に雲を作っている時には彼女もちょっと手伝ったりして可愛い雲をたくさん生み出した。
 
世界は夜を作る頃になってきたので、そろそろ元の世界に帰ろうかと話していると、彼女が指輪をなくしたことに気がついた。
 
「あの雲を作っているときに空に置いて来ちゃったのかなあ」と彼女は言って一度空に戻ったのだけど空はもうすっかり夜になっていて小さな指輪を探すのは到底不可能になっていた。
 
それで一応、雲を一緒に作った天使に「こんな指輪なんだけど」と言ったのだけど、ほとんどあきらめて帰ることになった。
 
帰りのタイムマシンの中で彼女から「お婆ちゃんのお婆ちゃんからずっと女の子だけに代々受け継がれてきた指輪だ」と教えてもらった。
 
そしてその後、僕らは結婚して彼女が赤ちゃんを産んだ。
 
赤ちゃんは可愛い女の子で、産婆さんが「あれ、この子、何か握ってますよ」と言った。
 
そして産婆さんが手を開かせるとそこには彼女の指輪があった。

同僚の宇宙人

僕が働いている工場の同僚は宇宙人だった。
 
見たところ僕らと全く同じで、喋り方に変な訛りがあるわけでもないし、変なお祈りをするわけでもなかった。
 
食事も僕らと同じように工場の食堂でカレーライスやコロッケ定食を食べたし、仕事の後で飲みに行っても隣のラインに入った可愛い女の子について話し合ったりした。
 
そう、僕らにとっては全く普通の隣人として付き合っていたというわけだ。
 
それでも彼は自分が宇宙人だということにコンプレックスとか誇りとかが複雑に混じりあった微妙な感情を持っていて、時々僕らとの間に見えない壁のようなものが感じられた。
 
明日から夏休み、というある日のこと。
 
僕らは工場の近くにある焼鳥屋で生ビールを飲んだ。
 
僕が彼に「帰省するの?」と聞くと、彼は寂しそうな表情で「僕の星まで帰るのに光の速さでも3万年かかるんだ。そう簡単には帰れないよ」と言った。
 
僕は「でもたまに帰りたくなったりしないの?」と聞くと、彼は「まあね」と答えた。
 
駅までの道を歩きながら、夜空を見上げて「どの辺りに君の星はあるの?」と聞いた。
 
彼は「わかるかなあ。ほら、あそこにお寺があるでしょ。そのずっと上の方なんだけど」と言って遠い夜空を指さした。
 
僕が「君の星、夏は暑い?」と聞くと、彼は「あたりまえだよ」と答えた。
 
夏の湿った風が僕らの間を吹き抜けた。

2012年8月27日月曜日

SNS

SNSで「友達じゃないですか?」と薦められた人達の中に20歳の頃の自分がいた。

名前も経歴も遊んでいる友人も何もかも20年前の自分だ。

僕はおもいきって「20年後の自分です。これも何かの縁です。友達になって下さい」と友達申請をした。

翌日、20歳の自分から「OK」の返事が戻り僕らは時空を超えて友達になった。

彼から「20年後ってどんな音楽や小説が流行ってるの? 何かオススメがあったら教えてよ」と連絡が来た。

僕はちょっと迷ったが正直に返事をすることにした。

「実は音楽も小説も最近はあまりチェックしてないんだ。たぶんそういうものって若いときだけに夢中になるものみたいだね。君はわからないと思うけど年をとるってそういうことなんだ」

次の日、返事が来た。

「色々と考えてみたけど仕方ないね。まあ僕は20年後は君みたいにはならない自信はあるけど。でも、音楽と小説に興味がなければ時間がすごくあまるでしょ。いったい何をしてるの?」

「友達と酒を飲んだり、女の子と美味しいもの食べに行ったりかな。仕事のつきあいもあるし」

「酒とグルメか。でも結婚してるんでしょ」

「結婚してるから女の子との食事が楽しいんだよ。たぶんどれだけ説明してもわかんないと思うけど」

次の日、SNSを開くと友達を外されていた。

雨工場

彼女が

「雨が好き。雨の匂いや、雨が降る音、雨の日に誰かを待ってる時間、誰もいない海に降る雨。色んな雨が全部好き」

と言ったので、僕は雨工場で働くことにした。

雨工場では様々な雨を生産し、雨を待っている地域や国に出荷した。

小糠雨、夕立、五月雨、スコール…

その国のその季節にあわせて雨は作られた。

僕は雨であればどんなものでも好きだけど、中でもブラジルの秋に降る「三月の水」が好きだった。

工場では好きな音楽をかけていい決まりだったので、僕らはアントニオ・カルロス・ジョビンの三月の水を聴きながら雨を作った。

みんなで雨の歌を口ずさみながら作る雨はとても輝いていた。

僕らは作業服にぐっしょりと作った雨が染み込んでいたのだけど、それも誇らしい気持ちで工場を出た。

工場から帰ると、家では彼女が待っていて僕を抱きしめてくれた。

彼女は僕のシャツをくんくんしながら「雨の良い匂い」と言った。

タクシー運転手ロック

時間旅行専門のタクシー運転手ロックは21世紀交差点で40歳くらいの女性を乗せた。

「どちらまでですか?」と言うと、

女性は月を見上げながら「20年前まで」と答えた。

「高速に乗りますか? その方が結構早くついちゃいますけど」とロックが言うと

「下で行って下さい。今までの私の風景が見れるから」と答えた。

ロックはギアを入れ替え過去へと走り始めた。

しばらく走ると雨が降り始めたのでロックはワイパーのスイッチを入れた。

「この辺りは雨なんですねえ」とロックは女性に話しかけた。

女性は「この辺りは3、4年くらい前かしら。たぶん私にとって一番雨が多い頃かもしれないわね」 と答えた。

「あの、立ち入った話しなんですけど20年前にどんな目的があるんですか?」

「ある男の人とどうしても会いたいの。私、彼とは本当は20年前に会うべきだった。普通に出会って普通にデートをして街を歩くべきだったの」

「ああ、晴れてきましたよ。今は10年くらい前ですかね」

理想的なセックス

理想的なセックスについて考えてみる。

海岸で少年と少女が大きい砂山を作っている。

二人はまだ幼いので身長はそんなに高くない。

だから砂山はあっと言う間に二人の背の高さくらいまでになる。

二人は出来上がった砂山を見つめて満足するが「何かが足りない」と思う。

砂山に必要なものは登山道だろうか とか、敵が攻めてきたときのための砂山をぐるっと囲むお堀だろうかとか、色々と思いをめぐらせる。

そして二人は同時に気がつく。

この砂山にはあちらとこちらを繋ぐトンネルが必要なんだと。

二人は反対側からお互いに、小さな手を使ってトンネルを掘っていくことにする。

しかし砂山は二人には大きいため、 思ったより簡単にトンネルは貫通しない。

もう随分二人のトンネルは進んでいるはずなのにまだ二人の手は届かない。

二人はすれ違ったんだろうかと不安になる。

二人で穴から手を出し、砂山を上から見て、お互いの進んだあたりを想像する。

たぶん僕らは間違ってないと確信し、また掘り進める。

そしてある時、二人は砂山の中のずっとずっと奥の方で少しだけ指の先の方が触れる。

さっきまではジャリジャリした砂の手触りしかなかったのに、生きて動いている人間の一部に触れてドキっとする。

そして二人は大急ぎで二人の間をさえぎる砂を外にかきだす。

そしてそっと手を握る。

これが僕の理想的なセックスだ。

豚のマリオ

その日、豚のマリオが教室に入ると、黒板に「豚は臭い」「ブーブーうるさいぞ」「おまえがいるとデブがうつる」「豚のくせに勉強なんかするな」と書かれていた。

マリオはみんなの顔を見たが、誰もマリオと目を合わせなかった。

マリオは自分の身体をクンクンと嗅いで、小さい声で「ブーブー」と言ってみた。

でも学校に来たんだし勉強しようと思い、自分の席に着こうとしたとたん、イスに画鋲がありそれをお尻で踏んづけてしまった。

マリオは「いったいみんなどうしたの?」と大声で叫んだのだけど、誰も答えてくれなかった。

マリオは大きな声で泣いた。

そして机にうずくまっていると そこで目が覚めた。

マリオはいつものように養豚場の中で繋がれていて、泥んこの中で眠っていた。

マリオは「どうしてあんな夢を見たんだろう」と不思議に思った。

そして「そうだ。明日は豚肉になるために殺される日なんだ。今日を精一杯大切に生きよう」と思った。

詩人のメガネ

詩人に

「どうやってそんな美しい言葉を紡ぎ出すんですか?」

と質問すると

「これをかけるんだよ」

と言って詩人のメガネを貸してもらった。

それで僕はそのメガネをかけて世界を見るとそこは死の世界だった。

僕が困った表情をしていると詩人がこう言った。

「君の言葉でこの世界を生き返らせると良いんだ」

鈴をつける

ほんと、彼女には参ってしまう。

可愛くて、柔らかくて、繊細で、残酷で、移り気で、良い匂いがする。

そしていつまでたっても全く彼女のことがわからない。

だから僕は彼女に鈴をつけることにした。

鈴をつけるとたぶんもう少しわかるようになると思うんだ。

鈴をつけた彼女が「りんりん」と音を鳴らしながら僕の目の前を歩いていく。

そしてあの可愛い瞳で僕を見つめこう言った。

「ねえ。こんな鈴で私のことほんとにわかるかしら?」

2012年7月17日火曜日

恋する夜

夜が大きくため息をつくのが聞こえた。

夜だって生きてるんだ。

失敗もするだろうし、誰かに裏切られたりもするだろう。

僕は外に出て夜に話しかけた。

「君がため息なんて珍しいね。どうしたの?」

夜は答えた。「恋をしたんだ」

「ふーん。相手は月とか土星とか?あ、太陽ならやめた方が良いよ。君にはあってないと思う」

「いや、普通の女の子なんだ。図書館で働いている。絵本と詩集が担当で素敵な子なんだ」

「絵本と詩集が担当なんだ。じゃあその子に詩をプレゼントすれば良いんじゃないかな。君が無理なら僕が今度図書館に行く時についでに渡しておいてあげるよ」

「詩かあ。良いアイディアだね。じゃあ明日の夜までに何か素敵な詩を書いておくよ」と夜は答えた。

そして次の夜、僕は恋する夜から詩を預かった。

「ちょっと自信ないから封筒を開けてここで読んでみてよ」と夜が言うので読んでみた。


『僕は夜。

真夜中になると夜の階段をゆっくりと降りて、ぐっすりと眠っている君の夢のところまで行くよ。

静かな夜。

時々聞こえてくるのは星が瞬く音。

星が瞬く音って聞いたことあるかな。

今度耳をすませて聞いてみてよ。

僕が君のために世界を静かにしておくから』


僕は感想を言った。

「うーん、詩じゃないけど良いんじゃないかな。君の感じがよく出てるよ」

夜が恥ずかしそうに笑った。

おばあちゃんの話

まだ僕が小さかった頃、おばあちゃんは韓国語と中国語が話せるということを聞いてびっくりした。

確かに僕のおばあちゃんは他の周りのおばあちゃん達と比べてかなり雰囲気が違った。

僕の父母は共働きだったので授業参観の時にはおばあちゃんが見に来てくれたのだけど、教室では完全に浮いていてすごく恥ずかしかった。

おばあちゃんは晩年の越路吹雪のような雰囲気で、映画女優みたいな大きい帽子を斜めにかぶり、すごく威圧感があった。

教室の他の生徒たちは「あの人、誰のおばあちゃん?」とこそこそ口にしたのだけど、僕は知らないフリをした。

僕の家は厳しくてTVの時間が制限されていたので、僕はこっそりとおばあちゃんの部屋にもぐりこんで、おばあちゃんのすごい煙草の煙の中でトムとジェリーを見た。

そう。おばあちゃんは僕の隣ですごくかっこよく煙草を吸った。

おばあちゃんよりかっこよく煙草を吸う人を僕はまだ見たことがない。

おばあちゃんは「戦争の時、満州に住んでいて、よく騎馬民族に追いかけられた」という話を何度もした。

僕は「騎馬民族に追いかけられる」って西部劇みたいな感じかな、と小さい頭で一生懸命想像してみた。

おばあちゃんの部屋の本棚には僕が知らないハングル文字で書かれた本があった。

僕はおばあちゃんがいない時にこっそりとその本を取り出した。

すると、その本棚の向こうから突然強いシベリアからの風が吹いてきて僕は吹き飛ばされそうになった。

僕は驚いて本棚に頭を突っ込むと馬が大地を駆け抜ける音が聞こえてきた。

世界の終わり

若い頃、スコットランドを旅していたら「世界の終わり」というパブに出会った。

面白いネーミングだなと思いながらそのパブの周辺をしばらく歩いてみたのだけど、別に普通のヨーロッパの地方都市と変わりはない寂しい街だった。

それで、その世界の終わりのパブに入って黒ビールを飲みながら、隣の赤ら顔のおじさんに「ここは世界の終わりなんですか?」と聞いてみた。

するとおじさんは楽しそうに笑いながら「そうとも。世界の終わりへようこそ」と答えた。

そうか、やっぱりここが世界の終わりなんだと確信した僕は将来結婚したい女の子が現れたらここに二人で来ようと決めた。

例えばこんな感じで誘えたら良いんじゃないかなって考えている。

「今度の夏休み、日本は蒸し暑いからヨーロッパの寂しい街に行かない?」

「ヨーロッパの寂しい街? どこかオススメの所でもあるの?」

「うん。世界の終わりって所なんだけど。一度二人で世界の終わりを経験しちゃえば将来は何にも怖くないと思わない?」

神様の出演枠

テレビをつけると神様が話していた。

「あなたはこの世界に生まれてきた理由があります。

だって不思議だと思いませんか。

あなたが今この世界にいて笑ったり泣いたり誰かを愛したりしていることが。

こんなのって奇跡的なことだと思いませんか。

だからあなたはこの世界で何か役割があるのです。

私はあなたに必ず何か特別な才能を与えています。

それは『誰かを安心させる才能』、あるいは『誰かの言葉に耳を傾ける才能』かもしれません。

もしくは『世界を不安にさせる才能』や『新しい世界を切り開く才能』のようなものかもしれません。

あなたはあなたの才能を大切にしてこの世界にいる理由を考えて下さい」

なるほどなと思って僕はテレビを消した。

テレビもたまに面白いことを言うんだ。

プールサイドにて

プールサイドのデッキチェアに寝転がってSF小説を読んでいると、隣のデッキチェアに黒髪ボブの東洋系の女性が座った。
僕は彼女が持っている本をちらりと見た。

日本語だ。

彼女は日本人なんだ。

僕は8年ぶりの日本語を使ってみたいなと思うのだけど、話しかけるところを想像してみた。

「日本の方ですか? 旅行中ですか? はい。私は学生時代、東京で勉強していました。杉並にすんでいました。ご存知ですか?」

退屈な会話だ。

それで僕は自分が読んでいる小説に戻ろうと思ったのだけど、「あれ、待てよ」と気がついた。

彼女が手にして読んでいる本、もしかして今、僕が読んでいる本の日本語訳本じゃないだろうか。

やっぱりそうだ。

彼女、いったいどのあたりまで読んでいるのだろう。

ワオ。僕と全く同じところだ。

そして僕は改めて視線を自分の手元に向け、小説の物語の方に戻った。

主人公は時間の海の中を漂っている。

そう。彼はタイムトラベル中なんだ。

するとその時間の海に突然嵐が起こる。

暗い空にさらに黒い雲があらわれ、時間を刻む雨が降り始め、主人公が漂っている時間の海はまるで正気を失った野獣のように荒れ始める。

そして主人公は時間の波の中に飲み込まれてしまう。

そこに突然、美しい女性が突然現れ主人公を助ける。

主人公は助けてくれた美女に向かって「君は誰?」と訊ねる。

すると彼女は「もし次の世界で出会えたらシャンパーニュでもおごってよ。その時に自己紹介するわ」と言って時間の闇の中に消えてしまう。

そこで僕は本から顔を上げウエイターを呼びシャンパーニュを用意させる。

ウエイターはジリジリと焦げ付く太陽の下で、シャンパーニュのコルクをゆっくりと抜く。

僕はグラスをもうひとつ用意させ、ウエイターにこっそりと耳打ちし、そのシャンパーニュを隣の黒髪ボブの日本人女性にも渡してもらう。

その日本人女性が「え?」という顔で僕を見た。

僕は「前の世界では助けてくれてありがとう。ところで約束の君の名前をそろそろ教えてくれるかな」と声をかけた。

2012年7月2日月曜日

ブランコに乗った女の子

黒くて長い髪の女の子がブランコに乗って揺れている。

彼女が揺れるとその長い髪が風に揺れて、世界が震えるのがわかる。

そして僕は彼女に恋をしてしまった。

僕は彼女がブランコを降りて来るのを待っている。

まるで女神が地上に降りてくるのを待っているような気持ちだ。

でも彼女は降りてこない。

ずっとブランコに乗ったまま前へ後ろへと揺れている。

彼女が揺れるたびに新しい風が生まれる。

そしてその風が世界を優しくなでる。

僕は彼女に「まだ降りてこないの?」と聞いてみる。

彼女はこう答える。

「うん。まだしばらく降りれなさそう。だって私、この世界の時計の振り子なの」

旅する男

男はそろそろ旅を終わらせる時期だなと思った。

男は今まで長い旅を続けてきた。

たくさんの街で女を愛し、友人に裏切られた。

もちろん男の方が友人を裏切るときもあったし、女を捨てることもあった。

商売が上手くいき、街のみんなから大きな信頼を得て、このまま死ぬまでその街でずっといようと 思うこともあったが男はそれを選ばなかった。

この女と家庭を作り小さな店でも構えようかと思ったこともあったがそれも選ばなかった。

なぜなら男は人生そのものが旅だと思っていたからだ。

しかし男はもうそれなりの年齢になり、そろそろ旅を終わりにしても良い頃なんじゃないかと思い始めた。

そう、男は死ぬ場所を探し始めたのだ。

アジアの田園地帯。

アラブの砂漠の中のオアシス。

南米のジャングル。

アフリカのサバンナ。

ヨーロッパの古代都市。

老いた体を引きずって男は死ぬ場所を探した。

でも結局自分が死ぬのに適した街は見つからなかった。

男は自分の旅の人生を呪い始めた。

死ぬ場所にもたどり着けないなんて自分はいったい長い旅の途中に何を見てきたんだろうかと。

しかし男は気づいた。

探したり迷ったりするから旅なんだと。

自分は死ぬまで探して迷い続けようと。

そして男はいつものように分かれ道で右にすべきか左にすべきか迷いながら大きく笑った。

これが旅だ。

赤と青の時間

川岸で白い和服を着た女性が赤い色を流していた。

近づいてのぞきこむと何かを染めているようだ。

女性が僕の方をちらりと見たので思い切ってきいてみた。

「何かを染めてるんですか?」

「ええ。時間を…」

「あの、時間って色が付いてるんですか?」

「もちろんです。すべての時間に色は付いてます。そしてその時間の色は私が染めています」

「僕この世界のことがどうやらよくわかっていないみたいで。例えば赤い時間はどういう時間なんですか?」

「あら、小さい子供みたいな質問をされるんですね。赤い時間のことなんて小学生になる前にお母さんに教えてもらうものですよ」

「すいません。常識のないやつだってよく友達からも言われるんです」

「赤い時間はもちろん激しい時間です。大好きな人を初めて抱きしめるときとか、憎むべき存在と戦うときとか、自分の死から逃げるときとか、わかりますか?」

「はい。なんとなく」

「でもね、赤い時間は世界には少ししかない時間なんです」

「はい」

「あなたは青い時間はどうでしょうか」

「青い時間?」

「一瞬の輝きを大切にする時間です。現実世界から一番離れた薄い空気が流れていて、人々は言葉をとても大切にあつかっています。めったなことでは感動の言葉を発しません。人間の美しい精神がほの暗く輝く時間です。青い時間に入りましょうか」 via

動物園デート

僕は女の子との初めてのお昼デートは動物園が一番だと思っている。

実は動物園って結構臭かったり食べ物が全然おいしくなかったりとロマンティックさにかけてしまう面がたくさんある。

だったら海にドライブに行ったり、恋愛映画なんかを観に行った方がよっぽど成功率は高い。

でも僕はデートは動物園に限ると思っている。

というのは動物園に行くと女の子は必ず小さかった頃の思い出話をするからだ。

そういう話をすると結構親密な気持ちになれる。

ちょっとしたタイムマシンデートみたいなもんだ。

そんなわけで彼女との初めてのデートも動物園にした。

彼女は結構楽しそうでデートは大成功だ。

ライオンに向かって「おい、起きろ!」って言ったり、猿山で「どの子がボスなんだろうね」って言ったりしている。

そして真ん中のペンギンの池の辺りに来たときにこんなことを言いだした。

「もしこの動物園の中の動物にならなきゃいけないとしたら、どの子になりたい?」

そんな質問って初めてだ。

「うーん、パンダは可愛いけどずっと見られているから気が抜けないよね。鳥とか楽そうかなあ」

「ふーん。じゃあペンギンはどう?」

「ああ、結構楽しそうかもね。どうして?」

「えとね。私、以前、ここのペンギンだったの。ちょっと小さいくてオドオドしてたペンギン。でね。あなたを見て人間になりたいって思ったの」

僕の街、東京

築75年の古いスタイルのマンションに引っ越した。

玄関には靴を脱ぐ場所がなく、天井が少し高い。

いわゆる外国人向けのマンションだったようだ。

僕は外国人のように靴を履いて生活してみることにした。

キッチンでもトイレでも靴を履いている生活。

慣れてみると半日であたりまえになってきた。

テーブルに冷えたシャンパーニュを置き、改めて部屋を眺め回す。

そうか。この壁は75年間、たくさんの人間の歴史を黙って見つめてきたんだ。

僕は例えば一番最初に住んだ人を想像してみる。

日本に重要な情報を持ち込んだナチスの秘密工作員。

清朝の重要人物。

そして戦後にやってきたアメリカ人。

もちろん日本人も住んだはずだろう。

朝鮮戦争で儲かった海外を飛び回る商社マン。

60年代にはアジアかぶれのヨーロッパ人のたまり場だったかもしれない。

80年代はトーキョーのデザイナーやカメラマンのオフィス。

そしてその一番最後に僕がいる。

僕は街を作っている。

隣の大きな広い部屋の床に東京のジオラマを作り、そこに生命を吹き込んでいる。

この街は僕の思い通りだ。

僕は街を歩き、街の息づかいに耳を傾け、街の意志を聞く。

井の頭通りの流れが詰まり始めたことを感じると部屋に戻り、井の頭通りに風を吹き込む。

すると見えない命が流れ始める。

僕は東京の未来を考える。

2012年5月29日火曜日

ブロッサム

近所のパン屋さん『ブロッサム』に閉店という紙が貼ってあった。

ブロッサムはバゲットとクロワッサンとパン・オ・ショコラとアンパンだけしか扱っていないパン屋さんで彼女の大のお気に入りだった。

春になると窪みのところに桜の花びらが埋め込まれたアンパンが登場して、彼女は春が近づくと「ブロッサムのアンパン、桜になったかなあ」と毎日確認のために通いつめた。

ブロッサムは奥で50代半ばの男性が黙々とパンを焼いていて、レジのところに30歳前後のいつも寂しそうな目をした女性が立っていた。

レジの後ろにはレコード棚とターンテーブルがあり、女性がレコードをかけていた。

そしてかかるレコードはブロッサム・ディアリーだけだった。

彼女がアンパンを食べながら「あの二人って夫婦なのかなあ」とよくつぶやいた。

「今度聞いてみれば良いじゃない」と僕が言うと「聞いてみたいんだけど、違ったらどうしようと思うとなんか聞けなくて」と答えた。

一度だけ郊外の動物園でブロッサムの二人を見かけたことがあった。

二人の真ん中には5歳くらいの男の子がいて3人で手をつなぎ笑いながらシロクマを眺めていた。

彼女が「あ!」と指をさし、僕はうなずいた。

あの日から5年が過ぎて彼女も結婚してしまった。

明日、彼女に電話をしてブロッサムが閉店したことを教えようと思った。


P.S.もしご興味のある方はブロッサム・ディアリーの曲をどうぞ。
http://www.youtube.com/watch?v=LQfvIIdcUD0

海と空

その女の子は海を見たことがなかった。

だから最近転校してきた男の子が南の小さい島からやってきたと聞くと、とても嬉しくなった。

学校から帰る途中に男の子が歩いているのを見つけ、後ろからそっと近づき声をかけた。

「ねえ、海の話して」

男の子はびっくりして「海の話って?」と聞き返した。

「私、海って見たことないの。海ってどんな感じなの。教えて」

「そうかあ。海を見たことないんだ。僕が住んでいたのは小さい島だったから海って普通だったんだ。だからどうやって説明していいかわかんないや。『空の話して』っていう感じと似てるかな」

「そうか。なるほど。じゃあ私は空の話をするから、あなたは海の話をして」

「うん。じゃあそうしよう。ねえ、空ってどんな感じ?」

「空? 空はねえ。とてもとても広いの。空の機嫌が良いときは真っ青でどこまでもどこまでもその青が広がっているの。でもね、機嫌が悪いときは黒い色が広がって大荒れになるの」

「不思議だ。今君が言った空の話、まるで僕が知っている海のことを話していたみたいだ。あのね、話にしてみると空と海ってとてもよく似ているんだ」

「ほんと?じゃあ想像してみるね、目の前に空が広がっている感じ。素敵かも。じゃあ、海と空の違うところは?」

「違うところ… 空は切ないけど、海は悲しいよ」

強い雨

雨が強く降ってきた。

助手席の君が不安そうな表情でこう言う。

「ねえ、このまま運転し続けても大丈夫?」

「大丈夫だよ。降りやまなかった雨は歴史上、一度もなかったんだから。いくら喧嘩をしても仲直りをしなかった僕らがいなかったのと同じだよ」

「変な喩え。でもね、このまま ずっとずっと雨がやまなくて洪水になったらどうしようとか不安にならない?」

「もし洪水になったら君を連れて高いところに逃げるよ」

「それでも水が追いかけてきたらどうすればいいの?」

「じゃあ、こうしよう。バケツリレーだ。世界中の友達に連絡して、あふれた水を砂漠に持っていこう」

「みんな手伝ってくれるかしら」

「大丈夫。僕はこう見えて友達は多い方なんだ。たぶんたくさんの人がバケツリレーに参加してくれると思う」

「世界中でバケツリレーかあ。今ちょっと想像してみたけど、なんだか素敵ね。でもほら。やっぱりイヤな人っているから邪魔されるかもしれないわよ。途中でバケツを全部ひっくり返す人とかいたりして」

「大丈夫。バケツをひっくり返す人は必ずいつもいるんだ。でもそれよりももっともっとたくさんの人がバケツリレーに参加すれば良いんだ」

「ふーん」

「雨がやんできたようだね。ほら、やまない雨はない。世界は君が思ってるよりもっともっと良いところだよ」

真夜中のメリーゴーラウンド

夜中に突然彼女が「メリーゴーラウンドに乗りたいなあ」と言いはじめた。

「ほら。映画とかでよくあるじゃない。真夜中の遊園地に忍び込んでメリーゴーラウンドに乗るシーン。真っ暗で誰もいない遊園地なんだけど、突然メリーゴーラウンドにだけ明かりがついて動き出すの」

今から遊園地を貸し切りなんてまさか無理だろうし、遊園地で働いている人間を買収するというのも無理だろう。

でも、可愛い彼女の突然のワガママにも簡単に答えられるのが男の見せ所だ。

僕は何でもないような素振りで「じゃあ出発しようか」と言った。

僕らは車に乗り込み、遊園地のある郊外の方へ急いだ。

僕は真っ暗な遊園地の前に車をとめた。

ダッシュボードからサングラスとピストルを二つづつ出し、彼女にも渡した。

彼女が目を輝かせた。

彼女はこういう危険な冒険が大好きなんだ。

僕は腰を低くして、管理人室の方に歩みを進める。

彼女も真剣な表情で後ろからついてくる。

僕は管理人室の扉を開け、中の男に銃を向け「静かにしろ。言うとおりにすれば命は保証する」と告げる。

男は震えている。

当然だ。

まさか真夜中に銃を持った二人組が入ってくるなんて想像もしていなかっただろう。

彼女が管理人室の壁にもたれこう言う。

「早くメリーゴーラウンドの鍵のありかを吐きなさい。子猫ちゃん」

星になった魔法使いの女の子

その女の子は自分が魔法使いだということはずっと隠していました。

学校に遅刻しそうになってもホウキに乗ったりせず必ず普通の女の子として行動しました。

というのは同じ魔法使いのお母さんがこんな話をしたからです。

「昔、大きな津波が来たとき、お婆ちゃんは時間を止めたの。そしてみんなが丘の上に逃げるのを待ってから、その後また時間を戻したの。みんなの命は助かったんだけど津波は町を根こそぎ持っていっちゃって。みんなは、津波はお婆ちゃんの魔法のせいだって言って、お婆ちゃんは火あぶりになったの。どんなことがあっても人間に魔法は見せちゃダメよ」

それでその女の子 は普通の女の子として学校に通い、普通に恋をしました。

その女の子が恋をした相手は星が大好きで、夜の間ずっと天体望遠鏡をのぞいていても飽きないような男の子でした。

男の子は「いつか新しい星を見つけて僕の名前をつけるんだ」というのが口癖でした。

女の子はある日、自分の部屋でその男の子の運命を占ってみました。

もしかして自分の片想いがいつか両想いになる日が来るんじゃないかと期待したのです。

すると、とんでもないことがわかりました。

三日後に男の子が丘の上で星を眺めていると突然、嵐がやってきて、雷がその男の子に落ちるらしいのです。

女の子は男の子に「三日後に星を見に行くのだけはやめて」とお願いしました。

男の子は新しい星がみつかりそうだったので、その女の子のお願いを断りました。

そしてその日がやってきました。

さっきまで夜空に星が瞬いていたのに突然あたりは暗くなり、ぽつりぽつりと大粒の雨が降り始めました。

男の子は傘を持ってきていなかったので、大木に寄り添って嵐が過ぎ去るのを待ちました。

すると「ダーン!」と大きな雷が落ちた音がしました。

男の子はびっくりしましたが、かすり傷ひとつなく無事でした。

その時、空から黒こげになったホウキが落ちてきたのですが、男の子は気づきませんでした。

その日、夜空に星がひとつ増えました。

女の子は星になったのです。

10年後、男の子は新しい星を発見しました。星の名前はなんと、あの魔法使いの女の子の名前でした。

記者会見で「その星の名前はどういう由来なんですか?」と聞かれて、男の子はこう答えました。

「昔、好きな女の子がいたのですが、ある日突然いなくなっちゃったんです。その後すごく探したのですが、みつからなくて。それでいつか新しい星を見つけたとき、その女の子の名前を付けると、どこかでその子が、僕がついに新しい星をみつけたんだ、って気づいてくれるかなって思って」

その日、夜空のある星が少しだけ涙を流しました。

公園のベンチでうとうとしていると、小さな虫が耳の中に入ってきた。

あれ、これはちょっとまずいことになったなあ、なんて思っていると頭の中から

「これはひどいな」という声が聞こえた。

ついうっかりと「え、どういうこと?」と僕がつぶやくと、

「まあとにかくこっちに来てみろよ」と虫が言う。

「いったいどうやったらそっちに行けるっていうんだよ」とからかい半分で答えたら

「こうやってだよ」と虫が言うと、僕はあっと言う間に裏返しにされて、虫と一緒に頭の中にいた。

僕の頭の中は寒くて暗くてゴムが焼けたようなイヤな臭いがした。

足下はヌルヌルしていて、何か柔らかいものや固いものを時々踏みつけるんだけど、僕は怖くてそれが何だか確かめられない。

虫はなぜか最初と同じ小さいままで僕の頭のまわりをブンブンと飛び回っている。

「最悪だろ」と虫が言うので、僕は「だいたい人の頭の中ってこんな感じじゃないかな。逆に全てが消毒されていて清潔な頭の中の人間ってちょっと信用できないな」と強がってみた。

「そんなに言うのならその無意識の扉を開けてみな」と虫が言うと、目の前には「どこでもドア」のようなただの扉が一枚立っていた。

この扉を開けると僕が二度と思い出したくないような傷ついた体験とか、歪んだ性の妄想とかが流れ出てくるんだろうか。

いやそれよりもっとひどい何かが待ちかまえているのかも。

僕は気持ちを落ち着けてここから脱出する方法を考えてみる。

虫を殺す?

扉の反対側から入る?

そうだ、これだ。

僕はポケットからライターを出して扉に火をつけた。

すると虫が「何やってんだ。逃げるぞ」と言うと僕の耳に飛び込んだ。

2012年4月30日月曜日

真夜中の踊り

真夜中にリビングの方で何か気配がした。

僕はベッドから抜け出し「誰かいるの?」と言いながらリビングの電気をつけた。

誰もいない。

次の日も真夜中にリビングの方で何か気配を感じた。

今度は息を殺して、声も出さずに電気もつけずに暗闇のリビングに近づく。

何だろう。

テーブルの上で何かが動いている。

僕は目を凝らして動いている物が何なのか確かめた。

小人だ。

小人が5人で踊っているんだ。

よく見ると踊っているのは2人。

他の3人は楽器を持って演奏している。

踊りはどうやら何かの物語を表現しているようだ。

彼ら小人はかつては違う世界でいたのだが、その世界がとてもイヤになってしまって、この小人の世界へと導かれるように入ってしまった、という物語だということがわかってくる。

物語はどんどん進んでいく。

「前の世界は仮の世界だった。

こちらの世界は踊り歌い愛し合い、こんなに素晴らしい世界はない。

さあ、あなたも早くこちらの世界にいらっしゃい」

僕は誘われるまま、その踊りの輪の中に入っていく。

誰も驚かない。

僕を踊りの輪の中に入れてくれる。

「物語がまた新しく始まる」とギターを持った人が歌う。

僕は挨拶をして自分の踊りをみんなに見せる。

すると「誰かいるの?」と言って電気がついた。

僕も小人達といっしょに逃げた。

おばあさんの織物

おばあさんは毎日毎日、機を織りました。

おばあさんが織る織物は美しいことで有名だったので、都では大変人気でたくさんの女性が「私がお嫁に行くときはあのおばあさんの織物で花嫁衣装を作りたい」と望みました。

おばあさんはそんな気持ちに答えるために毎日、美しい花嫁を想像しながら織りました。

おばあさんはこの歳までずっと独身でした。

しかし、昔一度だけ大きな恋愛をしたことがありました。

相手は若くて立派なお侍さんでした。

まだおばあさんが娘だった頃、機を織っているところに、そのお侍さんはやってきました。

お侍さんは自分がこれから結婚する相手の花嫁衣装のためにおばあさんの織物を注文しに来たのでした。

しかし二人は顔を合わせた瞬間に「この人が運命の人だ」と気づきました。

でも当時はお侍さんと機織り娘が結婚するなんてありえないことでした。

二人は心の中では恋の炎が燃え上がっていましたが、何にも気づいていないふりをしなければなりませんでした。

まだ若い頃のおばあさんは、お侍さんに結婚するお嬢様はどんな方なのか詳しく質問しました。

お侍さんも思いつくままに彼女の説明をしました。

彼女の背格好。

彼女の口癖。

彼女の笑い方。

そして彼女がどれだけおばあさんの織物が好きなのかということも。

そして若い頃のおばあさんは、そのお侍さんの美しい花嫁を思い浮かべながら機を織りました。

私の織った織物だとすごく幸せになれるんだから、と思いながら機を織りました。

ピアノの音

ホールの隅っこの方でピアノの音が鳴り始めた。

1930年代に流行ったセンチメンタルなメロディだ。

彼女が俺の隣でこう言った。

「あら、懐かしい曲ね。あのピアニストはどうしてこんな曲を知っているのかしら」

俺は「さあ。どうしてだろう」と答えると、バーテンダーに新しいマティーニを注文した。

こちらの世界で美味しいマティーニに出会うのは嘘をついたことのない詐欺師に出会うくらい困難だ。

この前にこの店に来たのはもう30年も前なのに、バーテンダーは俺がジンはビーフィーターをヴェルモットはノイリー・プラットを好むことを覚えてくれている。

俺はバーテンダーに「あの曲は以前から演奏されてたかな?」と訊ねた。

「いえ、この曲は先週いらっしゃったお客様から頂いた楽譜を見て演奏しているんです。お好きな曲なんですか?」とバーテンダーは答える。

俺は「いや、ちょっと思い当たることがあってね」とあいまいに答えた。

彼女が俺の方を見て「やっぱりね」という表情をした。

「その男はスコッチ&ソーダに少しビターズをたらしてって注文しただろ」

「ええ、その通りです。ここで40年間お酒を作ってきてそんな注文は初めてだったのでびっくりいたしました」

俺と彼女は内ポケットの中の銃に弾がこめられているのを確認した。

この世界でもまた戦いが始まるなんて…

糸電話

彼女が紙コップのようなものを差し出した。

僕が不思議そうな表情をすると、「これ、耳に当ててみて」と言った。

「こう?」と僕がそれを耳に当てると「そう」と彼女は答えて微笑んだ。

「ほら、これ」と彼女は同じような紙コップを見せて遠くに走っていった。

そうか、これは糸電話なんだと僕は気づいた。

彼女はもう見えない。

かなり遠くまで行ったようだ。

僕は耳に紙コップを当てたまま彼女の一言目を待っている。

何も聞こえない。

いや、正確に言うと彼女が走っている靴の音と彼女の「ハッハッ」という息が聞こえてくる。

僕はちょっと不安になってくるけど、しばらく耳に当てたまま待ってみる。

彼女が突然立ち止まる音が聞こえる。

そして紙コップから「ねえ、魔法って信じる?」という声が聞こえる。

僕は紙コップを口に当てて答える。

「いや、そういうのはあんまり…」

「そう答えるってわかってた。

いつもあなたはそうだもん。

でも、不思議じゃない。

糸がないのに私たち話が出来ているの」

「ほんとだ。あ、これ新種の携帯電話?」

「なるほど、そんなリアクションかあ。残念」

「残念?」

「私、あなたに恋の魔法をかけたの。

で、今日がその魔法が消える日なの。

私たち、魔法なんてなくても上手くいくと思ってたんだけどなあ」

「え、どういうこと?」

「ごめん、もう遠くまで来ちゃった」

運命の庭

非常ベルの音で目が覚める。

もう今月になって5回目だ。

僕はコートをはおって外に出る。

近所の人たちが何人か出てきているので、僕も近づいて話を聞いてみる。

「今日は誰ですか?」

「今日は角の床屋さんみたいですね」と近所の喫茶店のマスターが答えてくれる。

「消えた人たちはいったいどこに行ってるんでしょうね?」とマスターが言う。

僕は「ええ。不思議ですね…」と無難な返事をする。

しかし僕は消えた人達がいったいどこに行ったのか知っている。

運命の庭だ。

運命の庭のことは、半年前に消えた彼女から届いた言葉で知った。

彼女が突然消えた日から僕は狂ったように彼女を探し回った。

その頃はまだこの現象は普通ではなかったから、ほとんどの人が僕を相手にしてくれなかった。

しかし僕は彼女がどこかにいるはずだ、と信じていた。

いろんな手をつくしたが彼女は結局見つからず、最後に僕は彼女にただただ気持ちを送ることだけを念じてみた。

すると先月の中頃に彼女から小さい言葉が届き始めた。

「今、私たちは運命の庭にいる。

ここには多くの運命があり、私たちはそれを選び夜に投げている。

世界は消えかかっていたけど、今は少しだけ息を吹き返してきたところ。

そう私たちは世界を取り返しているの。

運命をつかみとっているの。

あなたは今は意識を開けて待っていて」

夜の東京

夜の東京が好きだ。

みんなが着飾った華やかなお店に行って、知り合いを見つけて軽くシャンパーニュなんかを飲むのも夜の東京の魅力だけど、僕らは騒がしい場所からは早々と退散する。

代々木上原の辺りから代々木公園の中を通り抜けるのも良いし、一本入った遊歩道をぼんやりと歩くのも素敵だ。

季節は秋から冬にかけての少し寒くなり始めた頃。

君は薄めのコートをはおっていて、僕は厚めのジャケットにマフラーをしている。

夜空には少しかけた丸い月があり、たまにその月と目が合う。

並木橋の方も好きだけど、246を越えるのがイヤだから僕らは表参道の方に歩く。

夜の表参道はほとんど人が歩いていない。

僕らは坂を上がったり下がったりして「東京って坂だらけだね」なんて話をする。

コンビニに入るとミュージシャンを目指している金髪の店員が退屈そうにしていて、僕らは温かい飲み物を買う。

キャット・ストリートのあたりに行って座ろうかなと思うけど僕はとにかく明治通りが好きなので、明治通りを北上する。

君は明治通りをずっと歩いた事なんてないから「あ、ここで伊勢丹が出てくるんだ」とか「なんか街がスパイシーと思ったら大久保」とかって結構楽しんでくれる。

目白の辺りにまで来るとなんだか寂しくなってきて、僕らは手をつなぎ夜空へと引き返す。

2012年3月19日月曜日

ボート

僕は二人乗りの小さいボートに一人で座っている。

世界は静かで、ごくたまに穏やかな風が吹くと少しだけ水面が揺れる。

あたりを見回すと360度、すべてに陸地があるのでここは湖なんだと僕は気づく。

水は、水は悲しいほどに透き通っている。

僕は湖をのぞき込む。

底には小さな街がそっくり沈められている。

驚いたことに街は少しも傷んでいない。

まるで生きていて今でも息をしているみたいだ。

目を凝らすと本当についさっきまで人が生活していたことがわかり始める。

赤信号で止まった自動車。

ベランダに干したままの洗濯物。

さっきまで子供がいた揺れるブランコ。

ジャングルジムのてっぺんで男の子が手を振っているのが見える。

去年、病気で死んだ僕の息子だ。

僕は息子が元気そうにしているのを見てほっとする。

僕は息子に「そっちは楽しいか?」と大声で訊ねる。

息子は「うん!」と元気に答える。

僕は水に潜り息子のところまで泳いでいこうと思ったが、思いとどまる。

「どうしたの? こっちに来ないの?」と息子が大声で言う。

僕は「ちょっとおうちに帰って、お母さんも連れて来るよ」と答える。

すると息子が「じゃあ、おうちのおもちゃいくつか持ってきて! こっち何にもなくて退屈で」と言う。

僕は「わかった」と言うとボートを岸に向かって漕ぎ始める。

息子が笑っている。

魔法使い養成講座

街を歩いていると「魔法使い養成講座。素人大歓迎」という看板をみつけた。

なんだか怪しそうだけど、もし魔法使いになれたら夢がかなえられると思った僕は扉をノックした。

「こんにちは。入り口の看板をみたんですけど…」

「いらっしゃい」

「あの、魔法使いになりたいんですけど…」

「では、まず最初に魔法使いになりたい動機を聞かせてもらおうかな大金持ちとか世界征服とか…」

「片思いの彼女を僕の方に振り向かせたいんです」

「なるほど。恋愛操作か。人の感情を操るのは意外と難しいぞ。頑張れるか?」

「はい。彼女を手に入れるためなら何でもします」

「よし、じゃあ今から特訓だ」

そんな風にして僕の魔法使いへの道が始まった。

最初はホウキに乗るところから始まって、空間移動や以心伝心、時間操作なんてものも出来るようになった。

人の心の中はやっぱり難しかったけど、ついに人の夢が見れるようになり、感情を操作できるようになった。

僕は魔法使いの先生にお礼を言い、彼女の夢の中に急いだ。

すると彼女は僕とは違う男性に片思いで苦しんでいることが判明した。

僕は悩んだ末に、彼女の夢からその彼の夢へと移り、彼の感情を操作して彼女を恋するように仕組んだ。

次の日曜日、ホウキに乗って空を散歩していたら彼女が彼と楽しそうに歩いているのが見えた。

僕は涙の止め方を魔法使い養成講座で教えてもらうのを忘れていたことに気づいた。

家に帰って靴をぬぐと何かヌルヌルしたものを踏みつけた。

急いで電気をつけると、足下にはべったりとした血がある。

血はキッチンの方から流れてきているらしい。

キッチンの方に急ぐと床はどす黒い血であふれている。

血はいったいどこから、と見回してみたら、冷蔵庫から流れ出している。

僕は恐る恐る冷蔵庫の扉を開けてみた。

すると冷蔵庫の中には知らない男の首があり、切り離された首のところから血がだらりと落ちている。

すると突然男が目を開き喋り始めた。

「ああ、良かった。さっきからずっと真っ暗で寒くてどうしようかと思ってたんだ。ねえ、僕の首から下、知らない?」

「えと、首から下の特徴とかは?」

「特徴は別にないんだけど、チェーンソーを持っているんだ。僕、首から下が今何をやっているかはわかってて、さっきから何人も切り殺しているみたい。あ、今はちょうど、どこかの家の扉を壊してるようだね」

背後でチェーンソーが扉を破る音が聞こえた。

ブス

クラスに女子が20人いるとしたら、そのうち2人は誰が見てもすごく可愛い子なのね。
小さい頃からずっと、大きくなっても「美人さん」って言われ続けるの。

一人はすごくデブな女の子。

あと一人はもうすごくブスなのね。

後の16人は普通の女の子。
多少個人差はあるけどお化粧とか洋服とかでそれなりに可愛く見せられるし、それを「可愛い」って感じる男子もいるの。

さっき言ったすごくデブの女の子もそう。
ダイエットを死ぬ気で頑張ればその「16人の普通の女の子の枠」に入れるの。

でもブスはどうやって努力してもブスなの。

可愛いブスっているじゃない。
あれはブスじゃないの。
可愛いブスはその「16人枠」の女の子なの。

本物のブスってわかる?

すごく醜いの。

ひどいの。

可愛い服着たり、可愛く笑ったりしたら「気持ち悪い」って男子に思われるの。

でもね、そういう醜いブスも女の子だから普通に切ない恋をするの。

席が近くになったらドキドキするし目があったら緊張するの。

ありえないのはわかってるけどデートやキスを夢見たりもするの。

でもね、こんなブスに好かれたりするとその男子も困っちゃうわけ。

気持ち悪いんだもの。

だから私は恋なんて全くしたことないフリをしてるし、これからもずっと告白なんてしないつもりなの。

でもね、私、女の子なの。

ミカとマナの夢

「私はミカ」

「私はマナ」

「私は4才と7ヶ月」

「私も4才と7ヶ月」

「私たちはすごく可愛い双子なの」

「近所の男の子たちはミンナ私たちに夢中なの」

「街を歩いていてもミンナが振り返るの」

「ね」

「ね」

「私は大きくなったら王様と結婚するの」

「私は大きくなったら大統領と結婚するの」

「そして近衛兵と禁断の恋をするの」

「私も青年将校と恋に落ちるの」

「私は近衛兵をたぶらかして王様を毒殺させるの」

「私だって青年将校を利用して大統領を撃ち殺させるの」

「ね」

「ね」

「私は近衛兵にクーデターを起こさせるの」

「私も青年将校にクーデターを起こさせるの」

「お互い軍事独裁政権になったら戦争しようね」

「戦争良いよね」

「私はあるだけ全部の原爆をマナの国に打ち込むの」

「私だってあるだけ全部の水爆をミカの国に打ち込むの」

「使わない兵器なんて不自然よね」

「使ってこその兵器だよね」

「ね」

「ね」

「世界がキノコ雲でいっぱいになってすごく綺麗なの」

「放射能が世界中に広がって、みんなが苦しんでいる間は地下のシェルターでずっと隠れているの」

「みんなが死んでしまってから地上に出てみるの」

「そして二人で深呼吸をして、ゆっくり死んでいくの」

「私たち双子は死に方も美しいの」

「ね」

「ね」

2012年3月11日日曜日

季節の変わり目駅にて

『季節の変わり目駅』で冬が何度も時計を見ながらイライラしている。

「ほんと、あいつはいつだって時間ぴったりに来たことないんだ。

俺がこのままここにずっといると困るやつらがいっぱいいるんだからな。

世間のみんなはまさか春が遅刻常習犯だなんて知らないと思うんだ。

たぶん俺が意地を張って 、いつまでも居座り続けて、可憐な春を困らせているって想像しているんだ。

言っておくけど、桜のつぼみがピンク色になってから1週間もたっているのは一番俺が気にしているんだからな。

つくしが雪の下でずっと我慢しているのも知っている。

さっきなんて北風が『もう疲れちゃったから早く家に帰らせてよ』って俺のところに文句を言いにきやがった。

あのねえ、俺のせいじゃないの。

春が遅れてるの。

あいつ、今度こそガツンと言ってやるんだ。

今度遅れたりしたら俺もう先に帰っちゃうからなって。

冬が去ってるのに春が来てない不安定な季節なんて最悪だろって」

すると春が走りながらやってきた。

「ごめんなさい。すごく待ったでしょ。

どの服にしようかな、やっぱり明るい色の方が良いかなって悩んでたらあっと言う間に約束の時間が過ぎちゃって。

怒ってる?」

「いや。そんなことないよ。

桜を困らせるのって結構楽しいんだ。

その服、春に似合ってるよ」

冬がそう答えると世界が春になった。

2012年2月20日月曜日

突然の雨

夜道を歩いていると突然雨が降ってきた。

これは急がなければと少し早足で歩いていると、背後から「入りませんか?」と声がした。

見ると和服を着た40歳くらいの綺麗な女性が傘を片手にこちらを見ている。

知らない女性の傘の中なんていくらなんでもと思い断ろうとしたが、濡れた彼女の瞳を見ると私は何も言えなくなり、頭を下げて傘の中に入ってしまった。

「そんなに離れていると濡れますよ」と彼女は言うと私の腕に身体を寄せてきた。

「なんか積極的なんですね」と私が言うと

「何を言ってるんですか」と言ってすねた表情を見せた。

彼女の首筋から良い香りがする。

はっと気づくと街並みは知らない 場所になっていたのだが、何故か彼女にそのことを問いただせない。

彼女は懐かしい感情にさせる小さくて暗い和風の家の前で立ち止まった。

そして彼女が鍵を出して引き戸をガラガラと開けた。

当然のように彼女は中に入り私は続いた。

あの日からもう3年も経ったがこの家から出られない。

友人や親とも連絡はとれない。

彼女は壁の中で笑っている。

彼女の大学の課題

うちの裏庭で「ドスン!」という大きな音がした。

僕は急いで見に行くと小型のUFOがあり、中からとても美しい女の子が出てきた。

彼女は服の埃を払いながら僕の方を見ると

「初めまして。私、地球人だけが持っている恋愛感情というのを調べに来たの。あなたが実験台になってくれるのよね」

と言ってとびきりの笑顔を見せた。

僕はちょっとドギマギしていると

「ふーん、これが第一印象ってやつか。

あのね、あなた達は知らないと思うけど『恋愛』って宇宙では珍しいの。

だってこんな不合理で非生産的な感情を支えに子孫を作っていたら効率悪いでしょ。

でも、課題としては面白いなあと思って。

じゃあこれから二人で恋愛を始めるわよ」

と言うと高速回しで僕がラブレターを渡すところから始まって、

動物園デートや浴衣姿の彼女と縁日にいく夏の夜のデート、

真夜中の長電話、

ちょっとしたすれ違い、

満月の下での初キス、

雨の中、彼女が僕に泣きながら抱きついてくるシーンなんかを経験した。

はっと気付くと僕はもう彼女にすっかり虜になっていた。

彼女は

「ふーん、なんとなくわかったわ。協力ありがとう」

というとUFOに乗り込み宇宙へと帰っていった。

取り残された僕には大きな大きな「片思い」だけが残った。

ある女の子の悲しい話

「ねえ、私のこと本当に好き? 

じゃあ今から悲しい話をするけど良い?

ちょっと覚悟してね。

私ね、小さい頃からお兄ちゃんにずっと性的なイタズラをされてたの。

それでね、中学の時にさすがにこれはまずいと思ったからお父さんとお母さんに相談したの。

そしたらね、お父さんも私にセックスを強要し始めたの。

でね、その頃学校に好きな男の子がいたの。

私、初めての恋でその男の子にベタ惚れだったの。

で、その男の子が私の体を求めてきたから許したのね。

そしたら中学2年生なのに処女じゃなかったから、彼すごく怒って、みんなに私のことを『やりまん』だって言いふらしたの。

それからは私と付き合いたい男の子はみんな私の体が目的で。

でも、お兄ちゃんやお父さんとやるくらいならってその男の子達にも許しちゃって。

友達も先生もみんな私が悪いんだって言うの。

ねえ、あなたも私とセックスがしたいんでしょ。

例えばね、今まで言った話、全部ウソでしたって言うじゃない。

でもね、それがウソでもホントでもあなたの目の前の私は同じだと思わない?

同じでしょ? 

でも違うんだよね。

誰とでもセックスしてきた女は汚れてるんだよね。

でもね、みんなが私とセックスしたいって言うの。

あなたもしたいんだよね。

悲しい話、終わり。

ねえ、私のこと本当に好き?」

父の失踪

真夜中の2時半に目を覚まし、出かける支度を始めた。

リビングには娘の大学の課題の油絵がたてかけてある。

冷蔵庫を開けると妻が明日のパーティ用に下ごしらえをした料理がある。

冷えた水を飲んでいると猫が起きてきて、私の足を舐めた。

大丈夫だ。何にも問題はない。

25年前の今日、ちょうど今の私と同い年の父が真夜中に「海に行ってくる」とメモを残し失踪した。

私も同じように「海に行ってくる」とメモを残し、家を出た。

あの時の父と同じ行動を繰り返すことで、父の気持ちが理解できるかもしれない、と私は考えた。

自転車に乗り、坂道を滑走した。

秋の夜の風が頬に冷たい。

私はジャケットを着てくれば良かったなと一瞬思うがそのまま海へと自転車をとばした。

砂浜まで来ると自転車をとめ、その脇に座った。

冷たそうな三日月が暗い海の上に浮かんでいる。

波の音を聞きながら、消えた父のことを思い出してみた。

なんの特徴もない普通のサラリーマンだった父が何故真夜中に海から消えたのだろう。

すると黒くて大きな蝶が海の方からこちらに向かってとんでくるのが見えた。

この辺りでは見たことのない南方系の蝶だ。

まさか太平洋を渡って、今たどり着いたところなのだろうか。

蝶は私のそばに来て砂の上で羽を休めた。

漆黒のハネが月明かりに照らされギラリと光った。

私は持ってきたミネラルウオーターを蝶の前に垂らすと、蝶はそれを飲み始めた。

しばらくすると蝶はゆっくりと羽ばたき始め、ふわりと浮かび上がった。

そして蝶は驚いたことにまた夜の海の方へと戻り始めた。

その時、私は父が失踪した理由がわかった。

父はこの蝶を追いかけたのだ。

レモンの親子

電車の扉が開くと、レモンの爽やかな香りが車内に広がった。

見るとやっぱりレモンの親子だ。

お母さんは40才くらい、娘さんはまだ4才くらいだろうか。

肌のきめ細かい感じとかヘタの形がよく似ている。

お揃いの緑のワンピースがとても素敵だ。

二人は向かい側に座ったので黄色い香りが 僕の鼻をくすぐった。

僕はレモンのあの味を想像してみたら口の中に唾液があふれた。

女の子がさっきから僕の方をチラチラと見ている。

僕はお母さんが見ていないのを確認して、とっておきの「変な顔」を女の子に見せた。

女の子が嬉しそうに笑うと、お母さんが「静かに」と言った。

僕が口に人差し指をあてて 「シーッ!」とやってウインクをしたら、女の子も同じように「シーッ!」とやってウインクをした。

でも女の子はまだ小さいからウインクが上手くできなくて両目をつぶってしまった。

電車が次の駅につくと、レモンの親子は立ち上がり電車を降りた。

レモンの香りは僕のまわりに残った。

夏が終わる。

2012年2月6日月曜日

世界を始める

目を覚ますと僕のベッドのそばに彼女が立っていた。

「いつまで寝ているつもり?早く起きて。今から世界を始めに行くわよ」と彼女は言った。

「え?世界ってまだ始まっていないの?」

「何言ってんの。こんな状態で世界が始まっているように見える?世界は私とあなたが二人で始めるんでしょ」

どんな理不尽なことでも大真面目に断言する女の子に口答えをしてはならない、というのが僕の座右の銘なので、僕はベッドからはね起き、彼女と外に出た。

「さてと、どうやったら世界は始まるんだっけ。ボタンを押すのかな…」と僕が言うと

「何ふざけたこと言ってるの。とりあえず私が世界の錆び付いた ところに油をさすから、あなたはそこを磨いてくれる?」と彼女は言った。

僕らは世界の錆び付いた箇所をすべて新品同様のピカピカにすると、大きいハンドルを回し始めた。

ハンドルがギシギシと音をたてている。

二人で「せえの!」と声をかけ、全体重をのせた。

すると、ゴトゴトと静かな音を響かせながら世界が 回りはじめた。

彼女が僕の方を見て、あのとびきり可愛い笑顔で
「やっと世界が始まったわね」と言った。

あの時からもう随分と時は過ぎたけど、今でも真夜中の静かな時なんかに耳をすましてみることがある。

するとやっぱりどこかから世界が回る音がかすかに聞こえてくる。

世界は回っている。

僕の結婚式

あ、うん。

たった今、僕の結婚式が終わったところ。

奥さんは今ちょっと近くにいないんだ。

うん、たぶんもう少ししたら帰ってくると思うんだけど。

そう、まあ奥さんの希望で中々派手な結婚式でね。

彼女は普通のOLさんなんだけどね。

社会人映画サークルみたいなので知り合って、お互い60年代のハリウッド映画が好きだっていうので盛り上がって。

映画に行ったり食事に行ったりして、まあ結婚することになったんだけど。

普通だよね。

よくある話だよね。

だったらどうして…

僕ってルックスそう悪くないよね。

実は収入もこの年齢にしては結構良いほうなんだ。

まあ聞いてよ。

彼女の望み通りの教会で式を挙げてたんだ。

指輪交換の時、教会の扉が「ドンドンドン!」ってノックされて、若い男がすごい勢いで飛び込んできたんだよね。

そしたら僕の奥さんが僕の手を振り払って、その若い男の方へと走り出したわけ。

そして二人は手を取り合って教会の外へと飛び出したんだ…

不思議だったのは奥さんの友達とか僕の友達とかがみんな立ち上がって拍手したんだよね。

そう、前からみんなその若い男のことを知ってたみたいなんだ。

そんなこと知らなかったのは僕だけだったんだ。

あ、奥さんは今ちょっと近くにいないんだ。

たぶんもう少ししたら帰ってくると思うんだけど…

ページをめくると

ページをめくると物語が始まる。 

針をおくとメロディが流れる。

コルクを抜くと饒舌と悲しみが生まれる。

手紙を書くと終わりが始まる。

夜空を見上げるともう一人の自分を思い出す。

朝が来ると魔法が消える。

時計を見るとお別れが近づく。

窓を閉めると声が届かない。

扉を開けると全てが変わる。

君が泣くと世界が悲しむ。

君が笑うと未来が始まる。

夏コレクター

実は最近、夏を集め始めた。

小さい頃の海水浴の浮き輪を膨らませた夏とか、8月31日のまだ宿題が終わっていない夏とか、初めて交換日記をした夏とか、まあそんな感じだ。

でも、もちろんこんな昔の思い出の夏だけでは「世界一の夏コレクター」になれないのは僕だって知っている。

だから最近はリオ・デ・ジャネイロの夏とか、1945年の日本の夏とかといった、海外ものや歴史ものなんかにも手を出し始めている。

あ、そうだ。

君の夏をくれないかな。

そしたらコレクションがぐっと輝くんだ。

もしくれたら、僕が好きな夏を全部集めてギュッと小さくして夏のペンダントにしてプレゼントするよ。

太った双子

真夜中に目が覚めたのでキッチンに水を飲みに行くと二頭身の太った双子がいた。

双子のうち一人は口から昨日の世界を飲み込んでいて、もう一人の方は明日の世界を吐き出していた。

僕が驚いて眺めていたら、双子が僕に気がついて
「マズイなあ」とユニゾンでつぶやいた。

「あの、今、何をしてたんですか?」

「見た通りさ。昨日の世界を飲み込んで、明日の世界を吐き出してたんだ」

「あの、えと、世界ってそんなシステムだったんですか?」

「当然だろ。誰かが古い世界を飲み込んで、新しい世界を吐き出さないと、ずっと『同じ今』が続いてしまうぞ」

「ということは、あなた達は神様なんですね」

「神様か。発想が貧しいな。あのね、俺たちは古い世界を消して、新しい世界を描いているだけなの」

「ということはあなた達がこの世界を変えているんですね」

「ちょっと違うけど、まあそれでいいや」

「例えば僕が『大金持ちになりたい』と言えば可能なんでしょうか?」

「なんだ。そういうことか。じゃあその『大金持ち』とやらを願ってみな」

「はい。願ってみました。…あれ、まだ大金持ちじゃないですよ」

「それはおまえの願いが本物じゃないからだ。俺たちは『世界の意志』を受け止めてそれを描いてるんだ。世界の意志は歴史の必然や運命、俗に言う奇跡、あるいは誰かが真剣に祈る気持ち、そんなのが複雑にからみあってるんだ。で、おまえの願いは本物じゃないから俺たちのところまで届かない。ま、不採用ってやつだな」

「ということは、本気でお願いすればいつか願いは叶うってことですね」

「おまえ単純で良いヤツだな。気に入った。おまえの願い気にしとくよ」と言うと双子は消えた。

三日月の夜

三日月をぼんやり見ていると月のウサギから電話があり
「退屈ならこっちにおいでよ。いっしょに泳ごうよ」と僕を誘った。

僕は10年ローンで買った宇宙船に乗り込むと月へと急いだ。

月に近づくと「月の川」の川岸でウサギが手を振っている。

宇宙船を降りると僕は上着を脱ぎ、ウサギは大切な懐中時計を足下に置き、川に飛び込んだ。
「ザブン」

僕らは大きい声で「ムーン・リヴァー」を歌いながら川を下った。

水の色が変わり、腰から下あたりが冷たくなってくるとウサギが
「『静かの海』だよ」と言った。

僕が
「確か『静かの海』ってアポロが到着した所だよね」と言うと、
ウサギは怪訝そうな顔で
「アポロってなんだ?」と言った。

「静かの海」は今までいた川よりも浮力があり、手を使わなくても浮いていられる。

「『静かの海』には地球上のたくさんの悲しい思い出や楽しい思い出が流れ込んで来ているんだ。だからそんなみんなの思い出のおかげで僕らは少しだけ世界から押し上げられる」

海から月の夜空を見上げるとたくさんの星が瞬いている。

ウサギが
「彼女にさ、星を集めてそれで花束を作ってプレゼントしてあげなよ。きっと喜ぶと思うよ」と言った。

ウサギは月の夜空にフワリと浮かび上がると僕の手を引いた。

そしてどこからかサンタクロースがもっているような袋を持ってきて 夜空へと羽ばたいた。

僕とウサギは夜空を舞う鳥になり、星を片っ端からかき集め、袋に詰め込んだ。

星が少なくなると夜空はどんどんと暗くなっていく。

僕が心配そうにしているとウサギが「大丈夫」と言ってウインクをした。

そして最後の星を袋に入れると世界は突然、真っ暗になった。

満月の夜

満月の夜、10年ローンで買った小型宇宙船に乗って彼女の家に急いだ。

扉をノックすると彼女は20センチだけ開けて
「何?」と言った。

「今日は満月だから月までいっしょに行こうかなと思って」

「私そういう夢の話って、興味ないの」

「あのね、月にはウサギがいてオモチを作ってくれるみたいだよ」

「もう子供だましみたいな話やめてくれる?」

「え? 僕は本気だよ。二人でウサギさんの餅つきを手伝おうよ。ほら、ラジカセも持ってきてるんだ。月に着いたら川べりに行って二人で『ムーン・リヴァー』を聴こうと思って」

「それがロマンティックだと思ってるの? 私そういうの大嫌い」
そう言うと彼女は扉を「バタン」と閉めた。

僕は一人で月に行き、ウサギが作ってくれたオモチを食べながらラジカセで『ムーン・リヴァー』を聴いた。

ウサギが僕の隣に座り
「いつか彼女もわかってくれるよ」と言ってくれた。

暗い夜空に浮かぶ青い地球がとても美しいので、僕は地球を抱きしめた

2012年1月23日月曜日

何かロマンティックな言葉

渋谷を歩いていると隣にタイムマシンが止まった。
窓が開き、中から美しい女性が顔を見せ、「はやく乗って」と僕を誘った。

彼女はタイムマシンを走らせると、世界の始まりと終わりを簡単に見せ、後はほんの少しだけの希望とたくさんの絶望をゆっくりと見せてくれた。

タイムマシンは渋谷に戻り、彼女はこう言った。
「どう思った? 分析はダメよ。何かロマンティックな言葉をひとことだけ言ってみて」

僕はちょっと考えて
「世界はとても悲しいですね」と言ってみた。

すると彼女は
「残念、不合格!」と言って消えた。

小さい風

部屋の外で何かが「カサコソ」と音をたてた。

なんだろうと思った僕はそっと扉を開けてみると小さい風が入ってきた。

小さい風は入ってくるなり
「ねえ、先生に見つからないように、しばらくここで隠れてて良い?」と言った。
僕は驚いて
「先生って?」と聞くと、
「風の先生だよ。僕が強い風になれないからとても厳しいんだ」 と答えた。

「風の世界にも色々あるんだね」
「僕のお母さんは結婚前はずっとミス春一番だったし、お父さんは台風で四国を大洪水にして雷様から勲章をもらってるんだ。だから『おまえもやれば出来るはずだ』って先生がうるさくって…」

「そうか、それで君は大きくなったらどんな風になりたいの?」
「優しい風がいいな。夏のスコールの後に海から吹いてくる涼しい風とか、秋から冬にかけて都会に吹くちょっと冷たい風とかさ。で、女の子が『寒い!』とか言って彼の腕に寄り添ったりするんだ。その後、今年のクリスマスの予定の話なんかしてくれたら『風に生まれてきて良かった』って思うよ」

「君は『ロマン派の風』なんだね」
「何その『ロマン派の風』って?」
「いや今ちょっと思いついて言ってみたんだけど」
「その言葉、良いな。ねえ、強い風だけが偉いのっておかしいよね。僕『ロマン派の風』になることに決めたよ。今日はありがとう。君に会えて良かったよ」
そう言うと小さい風は風になって僕の前から消えた。

月から見る地球

月から見る地球は青くて可愛い。

僕は月旅行の思い出にこの地球をペンダントにして持って帰ろうと思いついた。

東京で待っている彼女の白い肌にとても似合うだろうな。

地球にそっと手をのばし、人差し指と親指で北極と南極をはさんだ。
すごく冷たい。

僕は誰も見ていないうちにそっと鞄に入れた。