2012年7月17日火曜日

恋する夜

夜が大きくため息をつくのが聞こえた。

夜だって生きてるんだ。

失敗もするだろうし、誰かに裏切られたりもするだろう。

僕は外に出て夜に話しかけた。

「君がため息なんて珍しいね。どうしたの?」

夜は答えた。「恋をしたんだ」

「ふーん。相手は月とか土星とか?あ、太陽ならやめた方が良いよ。君にはあってないと思う」

「いや、普通の女の子なんだ。図書館で働いている。絵本と詩集が担当で素敵な子なんだ」

「絵本と詩集が担当なんだ。じゃあその子に詩をプレゼントすれば良いんじゃないかな。君が無理なら僕が今度図書館に行く時についでに渡しておいてあげるよ」

「詩かあ。良いアイディアだね。じゃあ明日の夜までに何か素敵な詩を書いておくよ」と夜は答えた。

そして次の夜、僕は恋する夜から詩を預かった。

「ちょっと自信ないから封筒を開けてここで読んでみてよ」と夜が言うので読んでみた。


『僕は夜。

真夜中になると夜の階段をゆっくりと降りて、ぐっすりと眠っている君の夢のところまで行くよ。

静かな夜。

時々聞こえてくるのは星が瞬く音。

星が瞬く音って聞いたことあるかな。

今度耳をすませて聞いてみてよ。

僕が君のために世界を静かにしておくから』


僕は感想を言った。

「うーん、詩じゃないけど良いんじゃないかな。君の感じがよく出てるよ」

夜が恥ずかしそうに笑った。

おばあちゃんの話

まだ僕が小さかった頃、おばあちゃんは韓国語と中国語が話せるということを聞いてびっくりした。

確かに僕のおばあちゃんは他の周りのおばあちゃん達と比べてかなり雰囲気が違った。

僕の父母は共働きだったので授業参観の時にはおばあちゃんが見に来てくれたのだけど、教室では完全に浮いていてすごく恥ずかしかった。

おばあちゃんは晩年の越路吹雪のような雰囲気で、映画女優みたいな大きい帽子を斜めにかぶり、すごく威圧感があった。

教室の他の生徒たちは「あの人、誰のおばあちゃん?」とこそこそ口にしたのだけど、僕は知らないフリをした。

僕の家は厳しくてTVの時間が制限されていたので、僕はこっそりとおばあちゃんの部屋にもぐりこんで、おばあちゃんのすごい煙草の煙の中でトムとジェリーを見た。

そう。おばあちゃんは僕の隣ですごくかっこよく煙草を吸った。

おばあちゃんよりかっこよく煙草を吸う人を僕はまだ見たことがない。

おばあちゃんは「戦争の時、満州に住んでいて、よく騎馬民族に追いかけられた」という話を何度もした。

僕は「騎馬民族に追いかけられる」って西部劇みたいな感じかな、と小さい頭で一生懸命想像してみた。

おばあちゃんの部屋の本棚には僕が知らないハングル文字で書かれた本があった。

僕はおばあちゃんがいない時にこっそりとその本を取り出した。

すると、その本棚の向こうから突然強いシベリアからの風が吹いてきて僕は吹き飛ばされそうになった。

僕は驚いて本棚に頭を突っ込むと馬が大地を駆け抜ける音が聞こえてきた。

世界の終わり

若い頃、スコットランドを旅していたら「世界の終わり」というパブに出会った。

面白いネーミングだなと思いながらそのパブの周辺をしばらく歩いてみたのだけど、別に普通のヨーロッパの地方都市と変わりはない寂しい街だった。

それで、その世界の終わりのパブに入って黒ビールを飲みながら、隣の赤ら顔のおじさんに「ここは世界の終わりなんですか?」と聞いてみた。

するとおじさんは楽しそうに笑いながら「そうとも。世界の終わりへようこそ」と答えた。

そうか、やっぱりここが世界の終わりなんだと確信した僕は将来結婚したい女の子が現れたらここに二人で来ようと決めた。

例えばこんな感じで誘えたら良いんじゃないかなって考えている。

「今度の夏休み、日本は蒸し暑いからヨーロッパの寂しい街に行かない?」

「ヨーロッパの寂しい街? どこかオススメの所でもあるの?」

「うん。世界の終わりって所なんだけど。一度二人で世界の終わりを経験しちゃえば将来は何にも怖くないと思わない?」

神様の出演枠

テレビをつけると神様が話していた。

「あなたはこの世界に生まれてきた理由があります。

だって不思議だと思いませんか。

あなたが今この世界にいて笑ったり泣いたり誰かを愛したりしていることが。

こんなのって奇跡的なことだと思いませんか。

だからあなたはこの世界で何か役割があるのです。

私はあなたに必ず何か特別な才能を与えています。

それは『誰かを安心させる才能』、あるいは『誰かの言葉に耳を傾ける才能』かもしれません。

もしくは『世界を不安にさせる才能』や『新しい世界を切り開く才能』のようなものかもしれません。

あなたはあなたの才能を大切にしてこの世界にいる理由を考えて下さい」

なるほどなと思って僕はテレビを消した。

テレビもたまに面白いことを言うんだ。

プールサイドにて

プールサイドのデッキチェアに寝転がってSF小説を読んでいると、隣のデッキチェアに黒髪ボブの東洋系の女性が座った。
僕は彼女が持っている本をちらりと見た。

日本語だ。

彼女は日本人なんだ。

僕は8年ぶりの日本語を使ってみたいなと思うのだけど、話しかけるところを想像してみた。

「日本の方ですか? 旅行中ですか? はい。私は学生時代、東京で勉強していました。杉並にすんでいました。ご存知ですか?」

退屈な会話だ。

それで僕は自分が読んでいる小説に戻ろうと思ったのだけど、「あれ、待てよ」と気がついた。

彼女が手にして読んでいる本、もしかして今、僕が読んでいる本の日本語訳本じゃないだろうか。

やっぱりそうだ。

彼女、いったいどのあたりまで読んでいるのだろう。

ワオ。僕と全く同じところだ。

そして僕は改めて視線を自分の手元に向け、小説の物語の方に戻った。

主人公は時間の海の中を漂っている。

そう。彼はタイムトラベル中なんだ。

するとその時間の海に突然嵐が起こる。

暗い空にさらに黒い雲があらわれ、時間を刻む雨が降り始め、主人公が漂っている時間の海はまるで正気を失った野獣のように荒れ始める。

そして主人公は時間の波の中に飲み込まれてしまう。

そこに突然、美しい女性が突然現れ主人公を助ける。

主人公は助けてくれた美女に向かって「君は誰?」と訊ねる。

すると彼女は「もし次の世界で出会えたらシャンパーニュでもおごってよ。その時に自己紹介するわ」と言って時間の闇の中に消えてしまう。

そこで僕は本から顔を上げウエイターを呼びシャンパーニュを用意させる。

ウエイターはジリジリと焦げ付く太陽の下で、シャンパーニュのコルクをゆっくりと抜く。

僕はグラスをもうひとつ用意させ、ウエイターにこっそりと耳打ちし、そのシャンパーニュを隣の黒髪ボブの日本人女性にも渡してもらう。

その日本人女性が「え?」という顔で僕を見た。

僕は「前の世界では助けてくれてありがとう。ところで約束の君の名前をそろそろ教えてくれるかな」と声をかけた。

2012年7月2日月曜日

ブランコに乗った女の子

黒くて長い髪の女の子がブランコに乗って揺れている。

彼女が揺れるとその長い髪が風に揺れて、世界が震えるのがわかる。

そして僕は彼女に恋をしてしまった。

僕は彼女がブランコを降りて来るのを待っている。

まるで女神が地上に降りてくるのを待っているような気持ちだ。

でも彼女は降りてこない。

ずっとブランコに乗ったまま前へ後ろへと揺れている。

彼女が揺れるたびに新しい風が生まれる。

そしてその風が世界を優しくなでる。

僕は彼女に「まだ降りてこないの?」と聞いてみる。

彼女はこう答える。

「うん。まだしばらく降りれなさそう。だって私、この世界の時計の振り子なの」

旅する男

男はそろそろ旅を終わらせる時期だなと思った。

男は今まで長い旅を続けてきた。

たくさんの街で女を愛し、友人に裏切られた。

もちろん男の方が友人を裏切るときもあったし、女を捨てることもあった。

商売が上手くいき、街のみんなから大きな信頼を得て、このまま死ぬまでその街でずっといようと 思うこともあったが男はそれを選ばなかった。

この女と家庭を作り小さな店でも構えようかと思ったこともあったがそれも選ばなかった。

なぜなら男は人生そのものが旅だと思っていたからだ。

しかし男はもうそれなりの年齢になり、そろそろ旅を終わりにしても良い頃なんじゃないかと思い始めた。

そう、男は死ぬ場所を探し始めたのだ。

アジアの田園地帯。

アラブの砂漠の中のオアシス。

南米のジャングル。

アフリカのサバンナ。

ヨーロッパの古代都市。

老いた体を引きずって男は死ぬ場所を探した。

でも結局自分が死ぬのに適した街は見つからなかった。

男は自分の旅の人生を呪い始めた。

死ぬ場所にもたどり着けないなんて自分はいったい長い旅の途中に何を見てきたんだろうかと。

しかし男は気づいた。

探したり迷ったりするから旅なんだと。

自分は死ぬまで探して迷い続けようと。

そして男はいつものように分かれ道で右にすべきか左にすべきか迷いながら大きく笑った。

これが旅だ。

赤と青の時間

川岸で白い和服を着た女性が赤い色を流していた。

近づいてのぞきこむと何かを染めているようだ。

女性が僕の方をちらりと見たので思い切ってきいてみた。

「何かを染めてるんですか?」

「ええ。時間を…」

「あの、時間って色が付いてるんですか?」

「もちろんです。すべての時間に色は付いてます。そしてその時間の色は私が染めています」

「僕この世界のことがどうやらよくわかっていないみたいで。例えば赤い時間はどういう時間なんですか?」

「あら、小さい子供みたいな質問をされるんですね。赤い時間のことなんて小学生になる前にお母さんに教えてもらうものですよ」

「すいません。常識のないやつだってよく友達からも言われるんです」

「赤い時間はもちろん激しい時間です。大好きな人を初めて抱きしめるときとか、憎むべき存在と戦うときとか、自分の死から逃げるときとか、わかりますか?」

「はい。なんとなく」

「でもね、赤い時間は世界には少ししかない時間なんです」

「はい」

「あなたは青い時間はどうでしょうか」

「青い時間?」

「一瞬の輝きを大切にする時間です。現実世界から一番離れた薄い空気が流れていて、人々は言葉をとても大切にあつかっています。めったなことでは感動の言葉を発しません。人間の美しい精神がほの暗く輝く時間です。青い時間に入りましょうか」 via

動物園デート

僕は女の子との初めてのお昼デートは動物園が一番だと思っている。

実は動物園って結構臭かったり食べ物が全然おいしくなかったりとロマンティックさにかけてしまう面がたくさんある。

だったら海にドライブに行ったり、恋愛映画なんかを観に行った方がよっぽど成功率は高い。

でも僕はデートは動物園に限ると思っている。

というのは動物園に行くと女の子は必ず小さかった頃の思い出話をするからだ。

そういう話をすると結構親密な気持ちになれる。

ちょっとしたタイムマシンデートみたいなもんだ。

そんなわけで彼女との初めてのデートも動物園にした。

彼女は結構楽しそうでデートは大成功だ。

ライオンに向かって「おい、起きろ!」って言ったり、猿山で「どの子がボスなんだろうね」って言ったりしている。

そして真ん中のペンギンの池の辺りに来たときにこんなことを言いだした。

「もしこの動物園の中の動物にならなきゃいけないとしたら、どの子になりたい?」

そんな質問って初めてだ。

「うーん、パンダは可愛いけどずっと見られているから気が抜けないよね。鳥とか楽そうかなあ」

「ふーん。じゃあペンギンはどう?」

「ああ、結構楽しそうかもね。どうして?」

「えとね。私、以前、ここのペンギンだったの。ちょっと小さいくてオドオドしてたペンギン。でね。あなたを見て人間になりたいって思ったの」

僕の街、東京

築75年の古いスタイルのマンションに引っ越した。

玄関には靴を脱ぐ場所がなく、天井が少し高い。

いわゆる外国人向けのマンションだったようだ。

僕は外国人のように靴を履いて生活してみることにした。

キッチンでもトイレでも靴を履いている生活。

慣れてみると半日であたりまえになってきた。

テーブルに冷えたシャンパーニュを置き、改めて部屋を眺め回す。

そうか。この壁は75年間、たくさんの人間の歴史を黙って見つめてきたんだ。

僕は例えば一番最初に住んだ人を想像してみる。

日本に重要な情報を持ち込んだナチスの秘密工作員。

清朝の重要人物。

そして戦後にやってきたアメリカ人。

もちろん日本人も住んだはずだろう。

朝鮮戦争で儲かった海外を飛び回る商社マン。

60年代にはアジアかぶれのヨーロッパ人のたまり場だったかもしれない。

80年代はトーキョーのデザイナーやカメラマンのオフィス。

そしてその一番最後に僕がいる。

僕は街を作っている。

隣の大きな広い部屋の床に東京のジオラマを作り、そこに生命を吹き込んでいる。

この街は僕の思い通りだ。

僕は街を歩き、街の息づかいに耳を傾け、街の意志を聞く。

井の頭通りの流れが詰まり始めたことを感じると部屋に戻り、井の頭通りに風を吹き込む。

すると見えない命が流れ始める。

僕は東京の未来を考える。